Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

マーカス・ロバーツというピアニスト

 

今を上書きしていくSNS。その今という部分の幾つかの集まりが全体にみえるのは概ね早とちりか錯覚ではないか。性急に答えを迫るわりに明日はもう忘れ去られる今。時を経ることを無用とする世界は不幸だとさえ言える。一方、行きつ戻りつの思考のあり方。やはり、ブログはいいなと思うのは、はてなブログ再開五カ月の感想である。

それで今日のお題は、その今は昔(1990年頃)のジャズの話。音楽は時の出会いであり人の出会いである。トランペッターのウィルトン ・マルサリスのバンドにマーカス・ロバーツというピアニストが彗星の如く現れた。その時、彼はたぶん25歳くらだったろう。「The very thought of you」で、短いピアノ・ソロだったが、過剰な表現はなく控えめながらも粒立ちの良い音色で、一音一音の清冽さが円やかさに注ぎ込まれるという有様だった。リーダーのマルサリスの大らかで抑制された音に遜色なく嵌るあたりは若さの割には懐が深いという好印象だった。それを機に彼のファンになっていった。その後数年経って小澤征爾のサイトウキネン・オーケストラでガーシュウィンなどの共演していた。しかし、本命のラプソディ・イン・ブルーの小澤のどこか啓蒙志向よりも、マーカス・ロバーツのコール・アフター・ミッドナイトの方が格段に音楽の本質を表していて面白かったのは対照的だった。

確かに、彼の世代の音楽スタイルは、すでにクロスオーバーやフィージョン以降であって保守的でオーソドックな旧態然のスタイルである。まあこれは佳しとしよう。ジャンルの枠を超えクラシック音楽等とのコラボも多い。これも佳しとしよう。だが、ウィルトン ・マルサリスにしてもそうだがやはり、ジャズとクラシックはぼくには違うものとして区別して置きたい。ジャズの本質である自由さを損なってまでも、それを耐えてジャズ音楽とクラッシック音楽を融合してやる必要も聴く必要もないというのが、僕なりの切り口である。
音楽の受けとめ方はだれも自由だが、いまでもぼくはあの「The very thought of you」のアドリブが彼の本質であり全体だと思っている。まさに、全体は部分の寄せ集めではないという証しではないか。これからの歳月の中で、行きつ戻りつ僕に彼の音楽がどう映ってゆくだろうか楽しみである。

その1990年頃当時のウィルトン ・マルサリスのバンドのマーカス・ロバーツの音源があったので載せておく。

 

 

https://www.dropbox.com/s/on7c2ewxa3j6fvf/theVeryThougtOfYou.mp3?dl=0