Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

あることの讃歌-火は石の中に眠っている-

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汝<Thou>に出会う
 
わたしたちが道を歩いていて、向こうからこちらに歩いて来たひとりの人に出会うとき、わたしたちが知っているのはわたしたちの歩いて来た道のりだけであって、相手の歩いて来た道のりではない。ただわたしたちがその相手と出会うときにだけ、彼の道のりに身をもって触れるのである。-『我と汝』マルティン・ブーバー-
 
秋が深まっている。朝未だき、葉を落とした森を散歩していると草叢がある部分だけ逆光に映えていた。そこに惹かれつつ足元が濡れるまま草叢に分け入ると、草の葉の表面には大小の水玉が列なり、一つひとつの粒には小さな太陽が写し出されていた。偶然なナイーブな光景に出くわした。しかし今から思うと、予め定められた光景の必然の確かさと同時にわたしが安らぎを素直に感じたのはなぜだろう。
 それは未知の対象を知った驚きより、自分の中に他に代えられない新たな固有の感覚を得たという喜びの体験に近かったからか。
 
自分の欠けたものを他のもので埋めることはできない。かつてあったものを失ったことではなく、今あることの意味の大きさに気づいたからだろうか。葉を落とした森で草叢に光が今までよりも注いでいるのを見る度、ともかく生きることの深さ、あることの確かさ。今生かされていることの深さをからだで感じているこの僕がいた。火は石の中に眠っていた。出会いとは自分の中の新たな発見であるのだ。
昼には消えゆく朝の露の光景であり、決して強烈ではなくむしろ淡い静かな出来事だったことを追記しておかねばならない。
 
以前と場所も風景の方も何も変わっていないのに、今日の出来事はこちからが生きることや健康とかの対象にしがみ付くことをせず僕のなかで緩やかで自ずと生じた変化だった。
 
2018/1/29で前立腺がんの放射線治療終了した。しかし、今継続中のホルモン療法の副作用が思った以上に酷い。からだはイマイチで辛いが、気分は上々。楽な立ち位置で仕事に取り組んでいる僕がいる。これは思い込みではない、からだ全体で感じる不思議な恵みの確かさである。
 

鷺とブルックナー - emmaus.hatenablog.jpの光景を思い出した。

 しかし、今日はハイドンとフローベルガーを聴いている。

アンドレアス・シュタイアー Piano Sonata in C major, H. 16/48: Andante con espressione

Joseph Haydn: Sonatas

Joseph Haydn: Sonatas

  • アンドレアス・シュタイアー
  • クラシック
  • ¥3500

 Johann Jakob Froberger

"... Pour passer la mélancolie"

  • アンドレアス・シュタイアー
  • クラシック
  • ¥1650