Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

内臓の感受性が鈍くては世界は感知できない -私たちの行動は内臓の声に突き動かされる-

今日の話は「太かったり、染みたり、命じたり、冷やしたり、潰したり、抜かしたりするものなーんだ」というお話☺️

ですが、言葉遊びではありません。興味深い「こころ」のお話です。

<こころ>とわたしたちが呼んでいるものは内臓のうごきとむすびついたあるひとつの表出だ。また知覚と呼んでいるものは感覚器官や、体壁系の筋肉や、神経のうごきと、脳の回路にむすびついた表出とみなせばよい。
 三木成夫「海・呼吸・古代形象」より -吉本隆明-

わたしたちの日常の中で、図らずも判断と決断を迫られることがあります。そうそうありませんが、しかし試行錯誤もあり、判断に迷ったあげく、結局は、 頭で考えるより、腹で納得して決めることになってゆきます。

内臓の感受性が鈍くては世界は感知できない -私たちの行動は内臓の声に突き動かされる- *1 三木成夫「海・呼吸・古代形象」

まさに、 大胆に思いを巡らし、肝が据わり肝に銘じ、 かつそれによって現実に肝を冷やしたり、潰したりと。

やはり、最後は括るのは腹(肝)。腹を括るのことになります。覚悟を決めるとは、肝を据えるということなのですから。

肝っ玉かあさんとは言いますが、肝っ玉とうさんとは聞いたことがありません。 内臓の感受性は、どうやら女性が優っているのかも知れません。世界を感知する術(すべ)は男女ともにあるはずです。そんなのないぞう!という御仁もいらっしゃるかも知れません。みなさんはどう思われますか?

三木成夫

*1:三木成夫 ja.wikipedia.org