Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

たどり着いた静けさ

世の中には、生きていく上での術(すべ)を熟知している人がいる。知るというより、むしろ術(すべ)を身につけたというように思われる人である。

ある時、人生の大先輩の方とお茶をご一緒する機会があった。大正生まれであった。特別なお話を聞いたのでも、上質なお茶を飲んだのでもなかった。醸し出される爽やかな風のような雰囲気。右手が大変ご不自由だった。左手の節くれだった大きな手。その手で茶碗を摩りつつ、「あったかいね」と言われ、動く左の人差し指で宙をなぞり文字を書く仕草が印象的だった。

それが何かの作法で身に備わったようでもあり、節くれだった手は世間という荒波でご苦労されたものと思われた。日常のなかで徐々にそのやり方が習慣となり、生き方としてその手の動かし方にたどり着いたのではないかと思われるほど自然なふるまいであった。

その所作たるものが、わたしには生きていく上での術(すべ)のようにふしぎに映った。それが確かなものであるなら自ずと寡黙にもなるはずであるし、振れることがないなら、自ずと瞳が澄んでいるわけであると思えた。託つところがないから、やすらぎが水紋の様にまわりのこちらに伝わるということになると思えた。

たどり着いた静けさは、まさに硬さの解れた、しなやかで芯の強いものと成って、それが、運命だと感じられる厳かさえその方には漂っていた。

しかし、十年くらい前までは、日比谷の美術館とかに行くのが楽しみだったそうだ。で、かつての展覧会の思い出話しをされ、仙厓のことや板谷波山、ルオーのことまでと、話しに花が咲き、頬が赤らんだご様子が、何とも言えずわたしにも心地よかった。いい時間だった。

後日、娘さんが届け物を持って来られ話しの流れで、ご当人の話しをされた。戦時中に右手を負傷されたということだった。若い頃は書道師範を目指していたらしい、と最後に付け加えられた。

思えば、わたしの父もその方と同世代の大正生まれであった。父も鎖骨のところに古い傷痕があったのをはっきり覚えている。その父からも、戦争の時の傷の話はついぞ直に聞くことはなかった。