Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

来た時よりも美しくという習慣

僕は小学生と中学生の間ボーイスカウトに入っていた。そこにはある行動規範があって、その一つに立ち去る時のマナーというべき「来た時よりも美しく」というものがあった。

それは何かといえば、野営を張り撤収する時は次の野営者が気持ちよく使えるようにきれいに努めるというものだった。規範は規則ではなく、あくまでも求めるもので、決して命令ではなく強制でもなく、より良くするための工夫の勧め、つまり、人(社会や世界)を変えるというより、まずは自分を変えるための《自主の知恵》というものだったと、今では理解しています。

習うより慣れろ。ボーイスカウトをやめても、長く今もこの習慣は自分の身体の芯に染み込んでいます。本来きれい好きでも片づけ上手では無いのですが、ふだんの生活のさまざまな場面で「来た時より美しく」は実行出来ているようです。

介護の仕事では、実際に退室の際の入居者の方や利用者の方の環境のしつらえの確認がありますが、ベッドまわりや身の回りでも、「来た時より美しく」を実践しています。立ち去る時のマナーというべき事例は、さらに介護環境のリスク・マネージメントにも活用できていて、環境改善のための割れ窓理論にも有効です。

来た時よりも美しくという習慣は、自分を顧みずただ掃除をしたり、無心にきれいにしていると、雑把なオノレが消えて体が軽くなって気持ちが楽になり、自分が整えられるのを実感することがあります。実にふしぎです。習慣にたいする敬虔さ、生活にたいする敬虔さを思わず感じる時でもあります。

昨日より今日と、自分を変える工夫は続きますが、少しは自分がマシになったかは分かりません。歳を経て、ただ用心深くなっただけかも知れません。

それでも言えることは、少年の頃に覚えた「来た時よりも美しく」に対する感謝の恩返しを実践していることだけは、確かことです。