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“だれ一人自分のためにだけ生きる人はいない”

 隣人とは

例えば ボクらにとって隣人とは何かと問うてみる 気をつけるがいいこの現実は余りにもしたたかだ たとい言葉の由来やボクらの歴史に張り付いた言語とて その時こそ言葉の意味も文脈原理も剥奪されて 言語表現を抽出することの動機や理由も退かれて 世界がまさにボクらに立ち現れて突き刺さり 言語も新たな表象をえる それでなかったら尻尾をまくしかない それを責めることはない もう他者ではないのだから
隣人とは何かということにシモーヌ・ヴェイユは答えた「注意力を促すことである」と 言葉に喚起することを不幸は何であるのかとヴェイユは問う 現実の不幸が傍観者に駆り立てるものは憐憫でもなく同情でもなく嫌悪と恐怖であると 仮にボクらがその傍観者だとする このボクらに欠けているものは思いやりや同情なのだろうか 自らおのれの嫌悪や恐れを克服するのはまさに注意力なのだと 予備的なことも予断もなく ひとつの出来事に自らが開くことしかでしかない 他者ではないことの重み 
とあるところで ヴェイユボーヴォワールに言った「今日必要なのはすべての人々に食物を与える革命である」と で負けじとボーヴォワールは言う 「人々に自分の存在の意味を与える方が重要だ」と でヴェイユが言うに 「あなたは一度も飢えたことがない」と
勿論ヴェイユが革命によってすべての悲惨が解決することでもないことを理解していたのは当然だ まさにおのれが対象に絡まることなく ただ超越した世界がおのれの意識のもとに立ち現れることを了解したのがヴェイユその人ではなかったのか そしていつも「在る」!方はわたしたちに無言なのだ この地上にあることには
清貧=時間性 - Emmaus’
道のりへの思惟 - Emmaus’
旅程の横断 - Emmaus’