Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

2006-07-01から1ヶ月間の記事一覧

自信とは

自信とは・・・自分を支へるものであるが、何よりありのままの自分を受け入れる健やかさと平明さに基づくと云ふ方がよい。それによつてわれわれが愚かさや鈍さや思考停止に導かれるのではなく、人が実に単純さにおいてなほ鋭く繊細で豊かで逞しいものに到る…

一番分らないこと・自分

確かに疎ましい自分といふものも正直あるのだらう。「もう少しどうにかならんかな」と吹けば飛ぶやうな小さな小さな商ひを長年遣つて来た。いつも問題山積。上の会社からは叩かれ、下からは突き上げられる日々。「何ともならん」。だから素直だつた臍まで曲…

このへんのこと6

朝早く雨の中、玉川上水から遠出のジョグ。あたりの深い霧が森をすつぽりと。もう郭公の声は聴かなくなつた。やはり六月だけだ。そろそろクヌギやコナラの枝が落ちるハイイロチョッキリの季節だ。

モンポウ

ちょっとした時間があって、何か音楽でも聴きたい・・・。ショパンのようなは甘さではなく、フォーレの高みの求心性もちょっと避けたい。モーツァルトということでもなく。「さて、あなたなら何?」誰も思い浮かぶ曲が有るに違いない。まるではじめて出会う…

朝の雨熱りを冷ます蝶が居る ジョグ数寄が荒梅雨の面を走り行く 琺瑯の白さに流れる金魚たち 汁作り雨に急くなり茗荷採る 青時雨暫く覆うこの土地に 梅雨荒れの二番電車が今立ちぬ 喜雨に撓る枝樹未だ眠るなり 短夜の眠れぬ膝に光射す 雨はしんみり落ち着く…

今何をするのか?

何はさておき人の命は確かに尊く素晴らしいものだ。だがしかし、あるところである場所で、人と人との戦いが永く続けられているのだ、今もまだ。聖地の惨状: 司教の日記。今日の主日のミサでの御言葉を思い巡らした。 その日、べテルの祭司アマツヤはアモスに…

命はすばらしい

あれから一ヶ月なるのです。新しいいのち - Emmaus’ 命はすばらしいと思いませんか。ネットで見ているだけでも、ただその子が、私たちを通してそのすばらしさにあるということだった。長女誕生 - KIYONOBUMIE 武満徹は親友に子どもが生まれたときに、誰かの…

〈ち・か・さ〉

新鮮だということは、こことそこ(これとそれ)、あるいは私とあなたとが出合い関わることである。つまりそこに何らかのある空間が前提として必要とされている。というのも新鮮ということは、その空間の〈間〉における間柄として生じた結果であるのだから。…

「祈り」は何であるか?

「祈り」は「祈り」自体が何であるかという問いそのものでもあるのかも知れない。しかし、それによってこの問いの中味には全然触れられるところはないのである。いかなる定義を与えようとも、問いを問いとして示すに過ぎない。答えは「祈り」そのものによっ…