Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

2007-03-01から1ヶ月間の記事一覧

聴くことの他者の存在

駅前の街頭でスピーカーをもって何かを訴えている人がいる。素通りする人、立ち止まる人。しばらく耳を傾ける人。全く無視する人。ところで、ある事柄を話すこと語ることは、一人でも出来るけど、一方聴くということになると、一人では出来ない。他者の話す…

島尾ミホさんの葬儀・告別式は本日29日午後1時から鹿児島県奄美市名瀬幸町18ノ1、カトリック名瀬聖心教会で、喪主は長男伸三氏で行われるようです。 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/obituaries/20070328/20070328_012.shtml

島尾ミホ

島尾ミホさんの訃報。あんとに庵さん(id:antonian)からのエントリー奄美島人の訃報 - あんとに庵◆備忘録で知りました。ミホさんの作品「海辺の生と死」「ヤポネシアの海辺から―対談」。奄美の昔話など。今、改めて読んで居ります。幾つかの死の縁取りとある…

<ずっと遠くに>と表現すること

三上さん(id:elmikamino)がル・クレジオの『歌の祭り』を載っけられてる。http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20070325/1174845476ル・クレジオのそれに纏わる話ではないですが・・・それにしても、言語についてです。 元来文字を持たなかったアイヌの人々は…

2007春2

暗転し雨空に舞う辛夷かな ひ烏賊茹で仕上げの柚子を買いにゆく人間の感情や思いとは、感触などの感覚のずっと後にくるような問題でもある。確かに知るということは「変わる」ということですが。

哲学!してみる

ぶんまおさんが「ちょっとだけ哲学してみるhttp://homepage3.nifty.com/bunmao/link123.htm」を二月の中頃から少しずつアップされている。 ちょっとだけ哲学してみる(2/15) 女に哲学できるのか? 「私」について哲学できるのか? 宗教は否定されるのか? 私…

きんぴら作りました。

ごぼうのキンピラです。作りました。いつもの気分転換。少し味が濃くなりました。胡麻はかなり多めに入れました。で見栄っぽくこの写真の為にわざわざ印判の皿を棚の奥から取り出しパチリ。カジンが問うに『どうしました?』。『記念に』『何の?』『んまあ…

生成することとスキル

◇人はアイデア(構想)をねるのではなく構想の中に入っていくものではないかどんな立派な立て看板であっても番地もない山の中に立てたなら、探す当てもない。またもし次にこの看板が何時か書き換えられたとしたらそれをどういう風に知らせまた知ることができ…

アイデアが浮かぶ・感覚

アイデアが浮かぶという言い方をする。でもどうやらThe idea never entered his headは、そのアイデアの考えが彼の頭に浮かんでこなかったというよりも、新たなアイデアの中に彼が入っていけなかったと解釈する方がいいようだ。学校に入学するとは、その新た…

<知>とは何か

だが死は生に縁取られ、生も死に縁取られて<種>の一体の流れがあって、その中で死ぬまで私が他者との関わりに意味を見いだすとして、あるいは情報の全体が分かちがたいものとして、私の<知>が働くならばそれはどういうことなのか。三上さんのエントリー…

物語ること-あの袋の軽さ-

かろうじてあるハズのボクの思考回路(あたま)は役立たずだね。先週の「すってんてん」に居る方がいい。あるいは一方的で極私的?には信仰(イエス・キリスト)のところに居るとよく見えてくる。この極めて個人的なこと(あたりまえ)をどう全体に展開する…

気づきについて

どうやら「考える」でもなく、「思う」でもなく、哲学でもない。「思考」でもないならば、思索でもなく思惟することだろうか。よーわからん。ともかく分かっているようで分かってない以前書いた「無我」のメモを振り返ってみようかな。http://d.hatena.ne.jp…

今日のアーティクルの各エントリーは下から上の時系列になってますゆえそのように順次読んでくださいなw。

幾つかの死の縁取り

茨木のり子がなくなってもう一年が経つ。未発表の作品が親族によって発見され出版された。「歳月」(花神社、2007年。夫Yが逝った後作られた、かたわれへの新たなラブレター(恋愛詩)。「恥ずかしいから死後に出版してほしい」と原稿は書斎のクラフトボッ…

2007春1

のんしゃらん納税おわる春の午後 税納め今年も路に諸喝采 をり居りに鶯露へて頭上ゆく 中庭の朝日にそこばく菫なり

すってんてんの巻

ボクの居る町の所轄の税務署は、車で10分の隣りのもう一つとなりの街にある。申告し納めると、頭は軽く財布も軽く身も軽い。すってんてん。何んもないのはいいもんだ。とは嘘!の嘘。帰りに漬け物屋に寄ってみた。「こんちは」。「あら、いらっしゃい」。…

正木ゆう子・静かな水

朝、テーブルの上に何気なく一通の葉書が置いてある。この春、北の方に着任した友人からの便りだ。「これ?」と葉書を振ると、「あら。昨日朝、あなたに言ったのに。届いてますって」とカジンはつっけんどんに訝しむ様子。葉書の裏を返すと余白に やがて真中…

確定申告

◇今から税務署に確定申告をしにいくのだけど。ぎりぎり。昨夜遅くまでやっていた。いつものこと。そのあと何処かをぶらっとしてみたくなるのも、いつものことだ。3/15はいつも冷えるようだ。(13:20)

知ること

車を運転していて、曲がり角に差し掛かり減速してカーブミラーを見遣る。左に1台右に2台車が見え安全だと判断してアクセルを踏み込む。バックミラーを見ると新たに一台の車が着いていた。知るということは「変わる」ということです。私が知る前もその後も…

スプランクニゾマイ

ところでRFKの特質について、ははるさんは彼の「成長する能力、体験によって変わる力」に加えて、こう言っている。 そして、共感するだけでなく、彼は、たとえ自分がつらくても、変わるべきときには変わることを受け入れられる人でした。これが、RFKを他の政…

RFKと憐れみ

RFK - はるるの勝手に独り言〜「勝手にRFK週間」の締めくくり - はるるの勝手に独り言はるるさん(id:nihongo)のブログのRFKシリーズは月間に突入することなく週間として納まったそうです。お疲れさま。「先週はボビーについてしゃべりすぎて、沈黙が必要な今…

「おい」という言表・ラングとランガージュの追記

追記 http://d.hatena.ne.jp/Emmaus/20070306/1173131105 むしろラングはルールということよりも契約的様態と見る方が現実的だろうとボクは考えます。つまり危機において文法単位が単語やフレーズの静的に作動せずに、前の語に促され次の語が導きだされる動…

「おい」という言表・ラングとランガージュ

「草枕」の第2章の始め、余(主人公の画工)が「おい」(英訳ではAnyone there?)と峠の茶屋の者を呼ぶ。言語はその言語の裡に言語の本質を表します。犬が「ワン」と吠えた音に発話の意味を見いだすことは出来ません。単純に「おい」という言葉の器(記号)…

「草枕」メモ・対位法

一昨日の続き。 ここに新たに「言述者」という要素が登場する。だが、「スゲェ」に対して私は主体と対象を判断しようと分離を行う。 http://d.hatena.ne.jp/Emmaus/20070302/1172810380 「草枕」の余(画工の主人公)と那美との関係を見てみる。「スゲェ」は、…

私と精神

「山」と「私」は言葉として同じ機能ではない。「私」の意味は、話を聞いているあなたではなく「私」と言っているわたしの人に意味づけられている。(「日本語の森を歩いて」小林康夫+フランス・ドヌル)わたしの主体が語る者-つまり発話者とわたしが一体の…

2/26の「非人情からの眺望」を読み返したんだけど。全く「非人情」に於ける画工と那美を捉え切れてないです。削除しようと思ったけど。これはこれ。2/26の文はそのままにしておきます。始めに立ち返って全面的に新しく書き直し(何も変わり映えしないかも)…