Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

2007-01-01から1年間の記事一覧

より劣った必要にもとづくものを

心はそうだとしても体は弱い 音楽は何処かに向かう。人も何処かにむかう。・・・三十年間やってきたデザインの仕事を閉じた。そして、終末医療の介護に就いた。それから五ヶ月。今、明らかに疲れを感じている。60歳を前に人に関わる「手応えのある」仕事と…

人も音楽も<あるところに>向かう

音楽はどこへかに向かう。そして人もつねにどこかに向う。「グールド(グレン・グールド)はグールドである」と言ってわが道をゆくアンジェラ・ヒューイットのクープランがこれまたいいのだ。因みに彼女もグールドと同じカナダの産。六年くらい前ある切っ掛…

クリスマスおめでとうございます

今夜、川向こうの近くの教会のクリスマス・イブミサに家人と与った。ミサの入祭の三十分前から祈りや歌が行われていたみたいで聖堂は大勢の参列者で立錐の余地もなかった。読書が好きな者にとっては、その始まりの「序」は何も代え難く清々しい静かな楽しみ…

アマデウス・アップル・カレー

待ち望む日々の間に仕事から帰るや、何だか体力に余裕があったのか(何故か今も分からない)家人の予定の献立とは全然関係なく、台所に立って突然カレーの下ごしらえをしたくなった。 それでグルダのモーツアルトのK330をかけてビールをグビグビやりながら、ク…

待ち望む日々2

だからこそ、神はわたしたちの人の愛を忍耐づよく待ち望む(待機する)のだ。シモーヌ・ヴェイユは時間について次のように書き記した。 時間とは、わたしたちの愛を乞い求める神の待機である。待機するときの謙虚さはわたしたちを神に似たものにする。謙遜とは…

待ち望む日々

待降節第3主日が過ぎた。エッサイの株からひとつの芽が萌えいでその根からひとつの若枝が育ちその上に主(spirit)がとどまる。〜イザヤ11〜この季節、わたしたち(教会)には四つのろうそくがあり、週毎に一つの灯りがわたしたちの<間>に点る。間とは、こ…

イモカタバミ

今日は休日だったので、早速2007/11/27カタバミが咲いてた - Emmaus’の林にジョグをかねて行ってきた。まだ咲いてたので近づいてパチリ。mmpoloさん、やはりイモカタバミのようです。↓こんな具合です。

待ち望む

待降節に入った。いろいろ書こうと思うがその時間がない。ともかく昨日待降節第一の主日ミサに与ることが出来たことだけは書いておこう。少しづつ書き足していくしかない。「間」ということについて気がついたこともあった。それも次回に。でもこれでは記事…

小春日和

小春日和おもほゆ子らを眺めたりhttp://d.hatena.ne.jp/rairakku6/20071130#1196375274その心象を経るようにすらすらと言葉(ボク)が開いた。rairakku6さんありがとう。ほんのりと温かくて清々しい情景。見ている見ている。どこかに思いの芯を保つ更なる状…

カタバミが咲いてた

ジョグの途上の林床にカタバミが咲いていた。葉っぱがクローバーに似ているね。気持ちが一日中ホンノリ佳かった。▼2007/11/27/22:10 訂正です:mmpoloさんからのコメントがありました。カタバミではなく、写した写真からするとイモカタバミだと思われます。…

[しみじみ]立ち現れる風景

2007-11-21 - rairakku6の日記 特に何がある訳でもなくでもふと足をとめたくなるような風景。 ボクの思いが先ずこちらにあってそれが風景と重なるのではない。そうではなく<向こう>からボクの方に立ち現れる。促される。ボクの知る感覚でボク自身の内にな…

山本弘の書

巡り合わせとはふしぎである(山本弘 - Emmaus’)。逢着した(山本弘の書 - mmpoloの日記)山本弘の「書」がとてもよかったのでここは長年「書」をやっている知り合いにプロフィールをあえて伏せ山本の書の画像だけを携帯に送った。早速「あたたかい書」とい…

山本弘

山本弘という画家を知ったのは、id:mmpoloさんのブログである。まだほんものは見ていない。色彩の一途な美しさと同時に速描からくる激しさで、色が息をしている。もっと観ているとその色の呼吸が穏やかさに繋がっていると感じて、その穏やかさにボクが安易に…

秋雲

音無の川面にあらたや秋の雲ストレッチ股より臨む秋の空

視ること・写すこと

晒されて視て写して記憶に至る存在と描写と表現=脱複写 - Emmaus’にTBされた中山さんが更に、画家・佐伯祐三(2007-10-14 - 横浜逍遙亭)にも敷衍されコメントされている。思うに・・・認識とは<存在>そのものを思考することだろうから、ルクレティウスが…

存在と描写と表現=脱複写

どうもこのところデジカメで写すものが対象の価値によりかかり過ぎではないだろうか。かつて植田正治 http://www.japro.com/ueda/は写真についてこう言っている。 美しく、めずらしく、貴重な被写体であっても、対象の価値によりかかりすぎたものに心をうつ…

失うこと・老いること・気づくこと

先日私の勤務する病院で患者のUさんが亡くなられた。鳶職の頭領だった方で、体の片方には見事な龍の刺青があった。どんな経緯の刺青だったかは分からない。空っぽになった病室になって幾日も立つが、長身の年老いた体に彫られたものが、ただの勇さだけでなく…

defuse・色を抜き取る・スキルということ

秋桜の写真から色を取り去ってみた。モノクロの写真を再認識した訳でもないがそれがより植生の獰猛さを想起出来ると思ったからだ。だがボクが単純に白黒にしたものを画像ソフト処理を専門にする友人に送ったて見てもらったが、「つまらない」とのメールが来…

秋桜

コスモスや隈無き先が川に急くいつものジョグとは違うコースをとったら・・・一面秋桜だらけの河原に出た。本来コスモスは群生するものだろうが、ここまできたら植生の獰猛さに圧倒される。弱々しく「風に揺らぐ可憐な花」などというイメージは微塵もない。

Interplay ビル・エヴァンス

三上さん(id:elmikamino)のメカスの映画哲学のエントリーにコメントするはずが、あろう事かボクは<自由>と<表現>ということついてビル・エヴァンスを「途方もない距離のなかから」その例えにした。それは間違いではなくそう思ったことだった。それ(htt…

合歓の木

朝未だき秋に眠の木まさやけく合歓の木は水のあるところを好むのだろうか。しっかりと枝を支えている幹、どっしりとした大きな合歓の木を河川敷に見つけた。逞しいがどこかに清々しさが感じられるのは何故だろう。芭蕉の句に「象潟や雨に西施がねぶの花」と…

憶えている

http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20070925/1190733834 体が覚えていること。行い。存在。存在するものを思考すること。知ること・認めること-[認識]-現に在ることは意識上のことでなく非言語の領野の広さにある。

道なりと川なり

川に沿って道が出来ていて、その道に沿って歩いていってみた。恩田の句がうかんできた。 道なりに来なさい月の川なりに 恩田侑布子

確かな音・確かなこと

茄子畑確かな響きの鋏音小気味よい鋏の音がまだ薄暗い朝の畑に響いている。 思いだけでなくそれを確かなかたちにすべく、われわれ人は道具をつくり土を耕し苗を植え育て、あらゆる収穫にいたる営みで作物の恵みを得る。ボクの聴くという行為はささやかな<受…

かさねの色目

幾日前夕暮れの中を走っていて色の「かさね・襲」のことがふとうかんだ。ひとつ一つの単色でなく幾領の色の組み合わせがおもしろい。違いがあるからおもしろい。「萩経青」ってかさねの色目があって。落ち着いていて、どこかに火照りが残っている風情。それ…

落ち着く

日の出がおそくなった。ひんやりとした風を感じた。大きく翼を広げたコサギが飛翔する。ふとこの春のことを思い出した。http://d.hatena.ne.jp/Emmaus/20070316/p1何かを辿る思いだ。辿るとは道に沿うということだろう。未来に投げかけて辿ろうとしている。…

2007夏の終わり・久しぶりだよ主日ミサ

言葉が意味的なものとなるのは・・・まさにボクの中心的経験的でそうなるんだね。新しい仕事(病院介護勤務上)が勤務シフトになっているので、ほとんど日曜日に休日がとれなくなった。まいったなと思ったけど、しゃーないです。決めたのだからね。で一ヶ月…

聞くということ

「この聖書の言葉は、今日あなたがたが耳にしたとき、実現した。ルカ」。 聞くことについてkarposさんがhttp://d.hatena.ne.jp/karpos/20070902/p1言及している。

世界がゆるやかに構成されている?

本居宣長は「情」という字にルビを「ココロ」とふっていたそうです。その情を支える体は情のように揺れ動くのではなく強くココロをも支える<生命>そのものであって、体だけでは私たちは完結はしません。<もっと大きなもの>への関わりが私たちを覆ってい…