Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

2006-04-01から1ヶ月間の記事一覧

立て直す

主に身を寄せて。「主は恵み深く苦しみの日には砦となり主に身を寄せる者を御心に留められる」ナホム書1:7悲しみの時には私に近づきなさい。天の慰めをさまたげるのは、あなたが祈りにより頼みにくるのがあまりに遅いことだ。私に向かうより先に、あなたは他…

復活祭の料理いろいろ

みんな顔が違うようにさまざまな国があって、その生活習慣もさまざま。 ポーランドにお住いの方の素敵なブログがある。復活祭にまつわるあれこれがエントリーされてる。 復活祭の前になると、復活祭用のレシピーが雑誌や新聞に出ます。 だそうです。で復活祭…

成分解析

それでサイトの成分分析とやらがあって、http://seibun.nosv.org/ 今日のこのブログの解析やってみた。 何だこりゃ。ありゃ。↓が結果だね。鉄の意志?気の迷い。気の迷いはあるかも。まいっか。でもお酒もいいけどそれにもましてお菓子も好きなんだけどもな…

存在って何?

写してまた映されるもの。二重のわたしで<在る>ということ。どんな意識でもなく、でも意識現象として立ち現れる粒々。その確かなものたち。 ここにわたしが居て。それを見て。あなたを見て。そして世界を見る。だから世界。またそれらを包み込みこんだ世界…

音のないパロール

ご復活おめでとうございます。 金曜日から昨夜の復活徹夜祭を経た(写真→)。そして今日復活の主日の日に洗礼式にも参列したが、やはり自分のことのように嬉しい。三年ほど前のおのれの洗礼を重ねた。刻みつけた音のない言葉。 見よ、わたしはあなたをわたし…

聖金曜日

主の受難 高円寺教会でこの夜は主の受難の祭儀に与った。 晴佐久神父様のまっすぐな福音よかったぁ。「洗礼はあなたを救う」と神父様は熱心に宣べ続けられているが、高円寺教会はこんどの復活祭の授洗者90人を越えるらしい。代父代母あわせただけでものすご…

バルラッハ展

昨日から始まったE・バルラッハ(Ernst BARLACH)展。京都で昨月までやっていて遂に東京でオープンになった。「日本におけるドイツ年」の一連の企画らしい。期間 2006年4月12日(火)〜5月28日(日) 東京藝術大学大学美術館 エルンスト・バルラハ展 プレスリリ…

聖木曜日

今日は聖週間、聖なる過越の聖木曜日。主の晩餐の夕べ。「この上なく(最後まで)愛し抜かれた」主は、わたしたちの足を洗われる。 JOH13:06 シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。 JO…

ピアニスト・関敦子

先だってある友人がピアノ演奏会に行ってとても気に入ったから是非に聴いてくれとCDを贈ってくれた。せっかくのご厚意だがこんな時は何故かいい当り!がない。だが今回さにあらず、何とこれが好かったのだ。久々いいピアニスト見つけた。内田光子以来かな…

降りこと昇ること

降りてゆく。さらにもっと降りていく。風の通うような上昇や下降ではない。自分を低くするという比喩ではない低さ。人となって降りられまた一粒の麦が地に落ちる。落ちることよりさらに低さにある思いさえない低さ。というよりも・・・おのれを離れ脱してお…

枝の主日

きょうの受難の主日から聖週間のはじまりです。 ミサに与りました。この受難の主日の受難の朗読は会衆一同も参加することになります。今年はマルコ14:1-15:47でした。いつもながら「十字架につけろ」という箇所が辛い。グサグサ胸を突かれる。過ぎ越しのはじ…

あさのあ

あいのあ さんぽのさ あさ あさはいい はじめのあ いろはのい あい そのはじめっからやりなおし のぼるあさひ きわをせにのぼりくる みんなのうえに のぼりくる あさのひかりがふりそそぐ やまちゃんのうえに なるちゃんのうえに けんちゃんのうえに みんな…

Google

先日、街の某本屋にいったら店員がアマゾンで探してた。おいおい・・・。PCが日常の必需ツールになって久しいのだが、ネットの情報収集の利便性がまたそれを支えている。とりわけGoogleは日進月歩さまざまなサービスを加速させている。一日の長かな。 Emmaus…

キリスト教信仰講座案内

http://homepage3.nifty.com/riverine/petero/info/riesenhuber.htm私のHPの4月からの2006年度、リーゼンフーバー神父講座案内です。理解講座本年度は「信仰内容」に重点がおかれています。年度途中参加・部分参加も可能ですので是非一度お越し下さい。