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“だれ一人自分のためにだけ生きている人はいない”

ストレスのある局面 柔らかな感性

このところ、テニスUSオープンをTV観戦している。スポーツは勝つか負けるかの結果がはっきりしている。人間の行う社会行動の情動に主眼を置いても、戦いを見るという意味では大変興味深い。だが、やはりスポーツと戦争は違う。さらに、幸いと喜びは同じところにあるようでそうではない。 不幸と怒りや憎しみは同じようで違う。

さて、プレッシャーとストレスは別物だと思うが、肉体にも精神においてもプレッシャーでストレスの生じるフェーズを上手に乗り越えるプレーを見ることがある。まったく至難の技である。

過酷すぎるプロスポーツの世界において、かつてテニスの女王ナブラチロワは、決勝が近づく度に「どうして自分はこんなところにいるのか」と、逃げたい衝動に駆られそのプレッシャーで何度もトイレで吐いたという。しかし、ストレスという自己防衛反応を強さで超えるのではなく、彼女は自分には持ち前の柔らかな感性があるのだと信じたという。遂にはストレスも収まりリラックスして試合に適応していったというのだ。「柔らかな感性」なんとも良い話である。それほどに彼女にはテニスに対する情熱があったのだろう。

私の介護の仕事も、命をあずかるストレスの生じるフェーズが度々あるのだ。是非ナブラチロワ・メソッドを参考にしたいものだ。

えんどう豆のさやを剥きながら

梅雨にしては晴れ間が続いている。友人らと音楽の話しをしていた。どういう話の流れだっただろうか、「人生の最後に聴きたい曲は何か」という話題に行き着いた。人生の最後という言葉が日常を超えたフレームとして際立っていたが、居合わせたものはそれぞれの思いで自由に話をしていた。それはそれでなるほどだと感心しながらそれらの話をぼくも聞いていた。

さて、ぼくにおはちが回ってきた。ものごとには確かに始めがあれば終わりはあるのだが、ちかごろのぼくはとりたてて末期を意識することもなく、ごくふつうに楽観も悲観もなく<今のこの時が最後>と思うようになってきている。これはやはり、患いついた為だろう。だから、今の時をあえて度返しにして「人生の最後に聴きたい曲」といっても、今聴きたい曲が謂わば最後に聴きたい曲だということになる。
たとえていうと、死ぬ前に最後に食べたいものはと聞かれても、今食べたいものがそれに他ならないと、同じことだ。それがえんどう豆の一粒だとしても、それが最後に食べたいものだともいって言いのだ。春の旬を極める筍の味は言葉にならないほどうまくぼくの好物の一つだが、特別にあえて人生最後のものではなくても後悔することはないだろう。むしろその時々の成り行きで構わない。今日の夕飯のえんどう豆ご飯の下準備の一つひとつ豆の鞘剥きに余念がないが、ともかく、えんどう豆はぼくにとって何かの縁だったのだろう。

まださいわい、仕事も現役で終活など程遠い。また普段、欲がまったくないわけではない。欲しいもの、行きたいところもある。

で、因みにこの以前に聴いていたものは、リヒテルハイドン16番。ペルゴレージスターバト・マーテル。パオロ・パンドルフオのチェロ。ウィリアム・バードのファンタジアだった。印象的だったのがバードのファンタジアだったので、若干のことわりを入れて、みんなにレオンハルトのバードのファンタジアにまつわる話をすることになった。

ある友人は旅先のケルンでのモーツァルトドン・ジョバンニの思い出話を語ってくれた。また他の友人は宮沢賢治のなめとこ山の熊と薩摩琵琶の弾き語りを話してくれた。

ぼくには、最後に聴きたいという思い入れはほとんどないが、しかし、友人らの話しはそれなりに意義深いものがあった。人生は味わうに足ると確信した。

梅雨の晴れ間、明日は近くの山にアジサイを見に行こうかと考えている。

これもありだね 音楽ののりしろ

三日前の夜だったか、ふとiTunesコントロールを開いて、シャッフル・オンにし、リピートをすべてにした。シャッフルだから普段は聴かない曲がながれてきたが、しかし、これらはかつて一つひとつ自分がダウンロードした曲だ。謂わば、偶然は必然の結果だということなんだね。それぞれに思い出のある曲だがやけにどれも新鮮だった。たまにシャッフルしてみるのも良い。思ってもみない音楽の歓びに辿りつけるかもしれない。

ミュージシャンは

思いつくままに印象を書いてみよう。

さて一曲目はカトリーヌ・コラールのシューマンのピアノ・ソナタ。1974年の録音。1974年この時ぼくは何をしていたのだろう。むろんカトリーヌ・コラールは知らなかった。音楽の録音会社でバイトをしていたのだろう。アシュケナージショパンエチュードが発売されたころだろうか。
カトリーヌ・コラールというピアニストはハイドンのような古典派でもロマン派でもなっとくできる表現をもち合わせている演奏家で、自分の一つを譲ることのできる叙情とでも言ったらいいのだろうか、晩年にはナタリー・シュトゥッツマンの伴奏ピアニストとしてその地位にいただけはあるのだと思う。素晴らしい内省的なピアノの感性だ。

Piano Sonata No. 2 in G Minor, Op. 22: II. Andantino

Piano Sonata No. 2 in G Minor, Op. 22: II. Andantino

  • Catherine Collard
  • クラシック
  • ¥250

シャッフルの二番目は、ジャズののノラ・ジョーンズのCome Away With Me 甘い恋歌。女性がCome Away With Meというのだ。へえーといった感じ。唄だけの世界に留めておくべきだ。(笑)この手の誘惑は何度も聴くと嫌気がさす。

Come Away With Me

Come Away With Me

三番目には、モーリス・ラベルのピアノ三重奏曲。パスキエ/ピドゥ/ぺヌティエ。これは昔からよく聴いたなじみの曲。今も聴く。

Piano Trio, M. 67: I. Modéré

Piano Trio, M. 67: I. Modéré

  • ジャン=クロード・ペンティエ, Regis Pasquier & Roland Pidoux
  • クラシック
  • ¥250

4番目はBill Evans TrioのHow Deep Is The Ocean 。なんとも知的な音楽だこと。でも、あたまだけの音楽でない、ハートがある。

How Deep Is the Ocean

How Deep Is the Ocean

5番目はグレン・グールドモーツァルトのピアノ・ソナタNo2。良い。

最後の6番目は、シュ・シャオメイのバッハのゴルドベルク変奏曲。一度機会があれば生の演奏を聞いてみたいピアニストだ。

Variations Goldberg, BWV 988: Aria

Variations Goldberg, BWV 988: Aria

  • Zhu Xiao-Mei
  • クラシック
  • ¥200

さて、このシャッフルをリピートして何度も聴くと、その印象がさらに増幅されてくるのが面白い。