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“だれ一人自分のためにだけ生きる人はいない”

ケアセンタリングを学ぶ 自分流の寄り添い方

料理に魔法や手品の極意はないのと同じく介護にも魔法のような極意はない。介護について、自分が知っていること-これが世界だと思っている事柄-を詳細に調べると、自分の知る世界とこの現実世界が乖離していると分かった。もう一度この世界を眺め直してみるべきだ。

それにはいままでの自分のケアリングを学び解すこと。センタリング(介護者が精神を集中する)を維持するには、自分にしかできないケアリングのメソッドをつくることだ。

ごまかしや嘘は避けなければ。静けさと自分を信じることが必要だ。そのあと人との信頼。

介護の仕事も11年を過ぎた。さまざまな経験と学習を積んだが、今一度初心に返ろうと思って、「認知症でも伝わる会話術」公開講座に参加した。

バリデーションvalidation療法。認知症の人を「その人の経験や感情を確かなものと認め、共感し、力づける」ことなのだが、一口に傾聴受容共感といっても介護現場ではベッド移動など体力がいる仕事で既に若くもなく力のある者ではないので、自分にはいかにこのハイテクニックを現場で実行するのかが喫緊の課題だった。

たとえば、認知症の方にイエスノーの会話ではなく、会話の具体的なオープンクエスチョン(開かれた質問をする)でその方の経験や歴史で培ったその人そのものを受容できる信頼を継続できる会話。それによってまずはセンタリング(介護者に寄り添う集中)ができそうだ。力ではなくより良いケアが維持できるそうだと感じた意義ある講座だった。

自分なりの肩の力を抜いた、自分流のバリデーション療法を修得出来ればと思う。

 

 

 

マーカス・ロバーツというピアニスト

今を上書きしていくSNS。その今という一部分の集まりが全体にみえるのは概ね早とちりか錯覚ではないか。性急に答えを迫るわりに明日はもう忘れ去られる。時を経ることを無用とする世界は不幸だとさえ言える。一方、行きつ戻りつの思考のあり方。やはり、ブログはいいなと思うのは、はてなブログ再開五カ月の感想である。

それで今日のお題は、その今は昔(1990年頃)のジャズの話。音楽は時の出会いであり人の出会いである。トランペッターのウィルトン ・マルサリスのバンドにマーカス・ロバーツというピアニストが彗星の如く現れた。その時、彼はたぶん25歳くらだったろう。「The very thought of you」で、短いピアノ・ソロだったが、過剰な表現はなく控えめながらも粒立ちの良い音色で、一音一音の清冽さが円やかさに注ぎ込まれるという有様だった。リーダーのマルサリスの大らかで抑制された音に遜色なく嵌るあたりは若さの割には懐が深いという好印象だった。それを機に彼のファンになっていった。その後数年経って小澤征爾のサイトウキネン・オーケストラでガーシュウィンなどの共演していた。しかし、本命のラプソディ・イン・ブルーの小澤のどこか啓蒙志向よりも、マーカス・ロバーツのコール・アフター・ミッドナイトの方が格段に音楽の本質を表していて面白かったのは対照的だった。

確かに、彼の世代の音楽スタイルは、すでにクロスオーバーやフィージョン以降であって保守的でオーソドックな旧態然のスタイルである。まあこれは佳しとしよう。ジャンルの枠を超えクラシック音楽等とのコラボも多い。これも佳しとしよう。だが、ウィルトン ・マルサリスにしてもそうだがやはり、ジャズとクラシックはぼくには違うものとして区別して置きたい。ジャズの本質である自由さを損なってまでも、それを耐えてジャズ音楽とクラッシック音楽を融合してやる必要も聴く必要もないというのが、僕なりの切り口である。
音楽の受けとめ方はだれも自由だが、いまでもぼくはあの「The very thought of you」のアドリブが彼の本質であり全体だと思っている。まさに、全体は部分の寄せ集めではないという証しではないか。これからの歳月の中で、行きつ戻りつ僕に彼の音楽がどう映ってゆくだろうか楽しみである。

その1990年頃当時のウィルトン ・マルサリスのバンドのマーカス・ロバーツの音源があったので載せておく。

https://www.dropbox.com/s/on7c2ewxa3j6fvf/theVeryThougtOfYou.mp3?dl=0

海辺

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久しぶりに生田緑地をあるいてみた。桜の花はもう散っていた。小高い丘を登ってもなぜか海辺を感じる。海に行って一週間が立つが、海と山どういうつながりなのか分からない。
浜辺に打ち寄せる波と大空。時間と空間。
 そうだ、これからの僕には、「ゆっくり」と速度を落とすという時間の余裕よりむしろ「ゆったり」とした空間の余裕が必要だ。
 
加齢とは、生命のはじめからおわりの全生涯の変化をいうが、老化は成長のピーク後の退行期の変化を指す。エリクソンの発達段階説の65歳以降は、発達課題として統合感の獲得の時期であるが、同時に認知症が生じるデリケートなプロセスである。
成長とは一般に発達における外面的量的に増大する変化を指す。しかし、それだけではない。それには内面的な価値と意味を豊かにする質という大きな要素がある。統合感には、自分らしさという量より質を必要とされるからだ。
 
時間や空間は共に「間」という数値で表すことできる。しかし、「ゆったり」という広さの「間」の数量は質に及ぼす効果がある。量に対する省エネの余力が質を高めることになると思われる。もうそろそろ僕にとってはゆったりとしたことが必要な時期に差しかかっているのだ。
 
風が強い。風は大気空間における気圧の高低の差で生まれる。やはり、海という自然はいい。素直に自分を整えてくれる。また時間を見つけて行こうと思う。