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“だれ一人自分のためにだけ生きる人はいない”

ある春の朝

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親許を出たのが二十歳の時。もうこれからは家も生まれも育ちもない、自分が自分の力でやる。その気持ちでワクワクした。恐いものはなかった。太陽が眩しかった。

だが、あの眩しさは太陽の光ではなく、親の眩しさだったのだと50年経って分かった。

今あらためて思うこと。世の中には恐いものがあること。悪もなくならないこと。その分また良いこともピンからキリまであるということ。
今できることは、今ある自分の力を尽くす。善人ぶらず尽くし尽くすこと。仕事復帰20日。今日は一段と光の強さを感じる春の朝である。

幸福書房の店じまい

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いい本を見つけた。原研哉著「白百」。内容は色の白に関する心象等々。
この本は私鉄沿線の小さな本屋さん、代々木上原の幸福書房で見つけた。ちょくちょく行く店だった。本もさることながら、ここの店の魅力は仕入れが一般の取次システムだけに頼らず独自仕入れをしていることで、ここならではの建築やデザイン系の書籍が充実していること、他の分野の本も大型書店やネットにはないぼくの気を引く品揃えの面白い本やステキな本に出会うことであった。

「あった」と過去形なのは、実はこの幸福書房がこの2月に事もあろうに閉店廃業するからだ。
店主からこれを聞いた時は言葉に詰まってしまった。屋号の通りのたくさんの「幸い」にありがとうには変わりがないのだが、ここはここだけの他にない空間であり、訪れたぼくらの好奇心や創造力をかきたてる特別なところだったわけだった。
空間や場は時間も伴う。つまるところ、この先に他に代わる「幸い」はなく、周りの人たちから惜しまれるもぼく個人としても何ともやるせないのだが、手元にある幾冊かの本を眺めていると、「やるだけやった」と想像してどこか晴れやかな達成感という気分にもなっている。あらためて、「白百」を読みつつ幸いというつややかな眩しさをこの小さな本屋さんに重ねてみた。

 

何でもやってからの方がいい

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以前出来たことが、ある日出来なくなることがある。また、反対に出来なかったことが出来るようになることもある。衰えの自覚はあるがほんとうにそうなの?以前と同じではないが、どうにか工夫して出来たらそれでよしとするべきだ。体は常に変化しているのだから。

プライドと表裏一体の小さなスティグマ (stigma)。あえて負の印を人前にひけらかすことはない。負のスパイラルに陥らぬように負の印をそっと静かに受け止める。ありえない想像もしない救済の手が差し伸べられることもある。ほんとうに出来ないことを受け容れる時は人はくどくは言はしないのだから。

自己コントロールの限界は矛盾をしめしている *1。自分を支えるのは、悔むことではない。やさしい言葉、甘い夢。自分の至らなさ。過ぎることはない方がいい。

さあ今日も一日が始まる。

*1: 筋力と同じで意志力も「使わなければ駄目になる」ようにできている (The Willpower Instinct ケリー・マクゴニカル)