emmaus.hatenablog.jp

“だれ一人自分のためにだけ生きている人はいない”

京都の漬物屋の大藤の紙でブックカバーをつくった

座右の書というわけではないが、いつも持ち歩いてる本で、その安東次男の「花づとめ」の外装が傷んできた。 これ以上傷まないようにしようと思ってカバーを作ることにした。 京都の漬物屋の大藤の丈夫な紙袋で作った。これがそうだ。かなり傷んでいるがあと10年はもってほしい。ぼくが81歳のころだ。

さて、この本に「孤雁」の章というのがある。

一読心底にとどく句というものは、見た目には何の奇もなく瞭かなもので、心底にとどくということは説明の外にあるから、これは凄い句と言うほかはない。 寒雁のつぶらかな声地におちず 飯田蛇笏

安東次男も酢茎のことを書いているので、大藤のカバーは喜ぶに違いない。

白菜ロース

もう二月の終わりになると白菜の旬を過ぎてるが、なんとかまだその盛時の良さを味わえる。 それで、あの吉本隆明家の定番の「白菜ロース鍋」が今晩のメニュー。薬味は玉ねぎの擦り下ろし。鍋に白菜を重ねて、豚のロースを乗せて火が通るまでしばらく待つ。頃合いを見計らって玉ねぎの擦り下で食す。これが決め手。これなしには「白菜ロース鍋」の妙味は半減する。美味いがそれを現す言葉が見当たらない。

ジャン=エフラム・バウゼ

ドビュッシー子供の領分の 「ゴリウォグのケーキウォーク」を最近、頓に良く聴く。

演奏家は引く手数多。

それぞれ持ち味がある。比較は好まぬし選り好みはないが、中でも分けてジャン=エフラム・バウゼの🎹を聴くことが多い。

naxos.jp/work

バウゼのドビュッシーを聴いてると、音にであい時は過ぎゆく、と言い切ってしまうことができる。不必要な雑念が浮かばない。 ついでだが、バウゼのハイドンは好評のようだが、僕は好きになれない。不必要な雑念ばかりが浮かんでしまう。どういうわけなんだろう。