Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

音・在ること・働き

そんなわけでキース・ジャレットに行く - Emmaus’の続き・・・
まあともかくキースがキレました。ネットでもいろいろ書かれてる。
[ジャレット]の検索結果 - goo検索 http://soul-helper.cocolog-nifty.com/start/2005/10/2005_5393.html キース・ジャレット、ソロコンサート2005 : 家を買ったら

正直彼は怒りました。ただただ聞き手のマナーが悪かったにつきるのだけども。

がそれにしてもキースの音がどうもボクの方には響かなかった。
何故かとっても遠くでピアノが鳴っている。とにかく音がこちらに立ち現れない。ソロのインプロヴゼーションであるのは承知でも、単に自らの殻の中で刺激された音がある完成されたものとして、入れ替わり立ち替わりただ音の流れとしてやってくるだけだった・・・のようにボクには聞えた。クリアーで粒のそろった音が「在る」だけで、それにこちらが動かされるものがない。「働き」がないと感じた。聞手の問題だったのだろうが肝心なことだ。
別にキースのポスターのシャツがはだけたようになったのが妙にヘンに思ったからでもなく、彼がキレた勢いでボクらにいろいろご忠告なさって白けた訳でもなかった。かえってキースには悪かったねとアンコールを聴きながらそう思ったんだけど。彼のせいでなく、わたくしが変わったのだ!?

でももうキースの音から足が遠のくかもしれんと思ったね。「私は私として私なのか?」なんか書くと一時の思いつきで彼に悪いと思い、せめて何日か感想書くのを躊躇した。そしたらこんな塩梅となった。何だか今夜は日記風?になってしまった。こんなこともある。いろいろある。