Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

森敦・月山

若い頃一時期よく山形や秋田の山に行った。とりわけ山形と秋田の境には深くていい山が多い。月山もその一つだ。

人の一生というものは物語の作品だと言えなくもない。ボクは運命論者ではないが、ある流れというか道というかある筋書きがあるように思うことがたまにある。だが、ある立ち位置(思想)からその作品に社会や作り手の人生や生き方を重ね合わせてたり考えたりするのは、ボクの好みではない。もっと自分にその作品を引き寄せて、生きている自分にその世界を取り込んで自分を膨らませて、自己の可能性を開きながら見出していくのが好きなのだ。

人間どこまでも逃げていってもいいと思う。何十年もいたるところを放浪したのちに表わせねばならないことだってあるのだ。それが来るべき長き時の準備だったのかも知れない。森敦「月山」。還暦を過ぎた森敦が、自分の人生の再出発の思いで描いた会心の一作品だ。自室ではだめだと、執筆は主に山の手線の車内で書かれた。都内を何周もしながら生まれた。夫人富子の叱咤がなければ一生未完であったかも知れない。むろん想像において森自身の生の理解などとはおこがましくて出来るものではない。森敦の豊かさと苦しみの共有に促されていく。ここからある処に触れたという思いがある。

月山・鳥海山 (文春文庫 も 2-1)

月山・鳥海山 (文春文庫 も 2-1)