Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

<わたしたちということ>を得て



川岸のあるところだけに木が茂っているのだ。



それはわたしの欠如からの享受であるのかと問うてみる。

それはわたしの豊かさからの贈与(分け合うもの)であるのかと問うてみる。

それはわたしの他者とおなじくあることの受容であるのかと問う。



つまり

それに「アイ」を代入するのだ。

ではそれでどういうことになるのだろうか。

「アイ」はわたしの欠如からの享受であり。

「アイ」はわたしの豊かさからの贈与であり。

「アイ」はわたしの他者とおなじくあることの受容である。



ボクの感覚では・・・

「アイ」=木が存在することは、

その三つのことが分けられることなく結びついているものは、

わたしがわたしだけでなく<わたしたちということ>を得て、

そこに居ることの感謝でわたしたちの<変容>を満たす。



川岸に「木が茂っている」ということを、

ボクが「アイ」を<十全>と指し示すと、

その指し示すことによって指し示されながら<今の>ボクの状景が十全と明示されるのだ。