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“だれ一人自分のためにだけ生きている人はいない”

ギブアップするわけにはいかない

ものの豊かさをほこれるようなものはない。いかばりかの蓄えというものもさしてない。それでも、生きていくには何よりも食べる必要があって、日毎それを得るために奔走しまくっているから、ボクなんか生きる=食べるという生態?のいいサンプルかもしれない。しかし、その中でも人の中で培ってきたさまざまなことがあって大切なものと痛感してきたことが少なからずある。そのような大切なもの中の一つに信頼というものがある。誰も大事にしていることだが、ボクのように商売をしているとなおさらで、人との信頼や信用は無形で定かでないからよけい大事にせねばと気を配っている。眼には見えないものを目に見えるもものとして果たす。こちらが渡すと相手が返してくれる。渡して受ける。その繰り返しのあいだにたしかな絆ができてゆく。まるであのあやとりのようにある信頼。ゆめの話ではない。http://d.hatena.ne.jp/Emmaus/20061201/1164989926 全くのその形ある現実がボクを正してくれるという按排。

ワタクシがただ一人で生きていけるはずもなく、そのように信頼は一方的なワタクシではなく、人との間にあるもの。この人ということは世という言い方もできる訳で、世の間つまり世間は社会ということであって、この関係は社会での約束(社会契約)というものにも敷衍される。あくまでも一人ひとりが世の中に対して前向きの熱意や、あるいは今現在を「然り(いい)」といえるような人や社会に対しての好意と誠意がなければならない。いわゆる人生に対する意志、つまり力の押し出しが必要だ。

このようにせめて人生を大切にしたいというわれわれの熱意や意志までも根こそぎ萎えさせ奪おうとする者がいる。その中の一つに昨今話題に上っているいわゆる「ワーキング・プワー」問題。ボクは給与所得者ではないが、人ごとではない。もうボクらは棄民だと自覚すべきだろう。そんななかで彼等はきっといつかボクをも棄てるだろう。奴等!がきたないやり方をするからといって、こちらからみすみす闘い(人生)をこのままギブアップするわけにはいかない。このまま人生をダメされる訳にはいかないのだ。大切にするということは、われわれにとって生きていくための意志の力-人生の力-だからだ。つらいけど、まけるなみんな。まけるな自分。見えにくい奴らはそのうちにもっと確かなの姿を表すから。