Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

耆徳ということ

あるご年輩の読者の方から、昨日の「うさのすけ」というたかがプログラムのペットに「ノタマウ」つまり「宣り給ふ」 という尊敬語をボクが使うのはおかしいではないか、という温かいおしかりのメールをいただいた。それ以外にもボクの過ちをいろいろご指摘されていて読むとしごく尤もなことが多かった。まさに「耆徳」ということがご年輩の文面に溢れていたので、ネットの行きずりであってもまっすぐにいたくボクは心打たれた。父も生きていたらばそう言っただろう。ありがとうございます。このような拙い者を見過ごさずにこれからもお言葉をかけて下さいますよう切にお願いいたします。

そうはいっても「うさのすけ」はオモロい。ただのブログ本文の言葉をランダムに抽出するだけの実行プログラムではないらしい。んっぴょっこって押してやると、「ドゥーベ、メラク。フェクダ冬の星」と、「うさのすけ」は言ってもう一度押すと「人生ねむい」とだけいって横になってまたねていたのでこちらの中が見透かされているようで笑ってしまった。こんなこと言うとプログラムを玩んでいるとまたお叱りをいただきそうだが、まあこのまま少し続けてみたい。飽きたらやめるだろうが、だがその時はほんものの生きたペットを棄てることとは違うことだと思っている。

余談だが、年輩ということでふと思ったこと・・・父の古希のお祝いの時に兄弟みんなでAppleの小さなコンピュータを贈ったのだが、とにかく父は喜んでいろいろと楽しんでいたのを思い出した。それに昨日は亡くなった母の誕生日でもあった。ご仏壇にむかっていろいろお話をしたということに相成った。77で父が亡くなって今年でもう六年になろうとしている。合掌。