Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

言葉が意味になる日にチョコもらった

ある時あの人の話しを少しだけでも聞くことがその方の全体を聴く(知る)ことになっていく。2000年前のその方の言葉が<意味>となって<意味>のつながりとなって、その全体がわたしに近づく(実現する)ことになる。だからそこにある意味とは、発話者と聴取者が同じところに居て分かったことをはっきり口に出きることだとも云えるのではないか。だったらこれがどうして神秘なのだろう?そのままの現実。「この言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した ルカ福音書」。それにもまして、わたしの話しをじっと聴いてくれた、あの方。ボクの言葉を<意味>として聞いてくれることが芯から分かった。その方の名はキリスト・イエス。「見よ、わたしはあなたをわたしの手のひらに刻みつける。(イザヤ44:16)」  ・・・ボクの横で、「チョコおいしいよ」って小学4年の男の子が菓子箱を差し出した。ありがとう。復活の主日にて2008/3/23