へそと海と自分のその後
わたしたちを動かすもの
思いを言葉にしたからといっても、どうなるわけでもない。膝が痒くなって へそと海と自分を書いたのが10年前。
- 意図と効果 ⇒ こうしようという思いを果たせれば良いのだが
- 貫く意味 ⇒ そこに降り注ぎ覆うわけ(理由)の幾許かが
- 主題 ⇒ この私の真ん中にあって譲れない事柄ブレないもの
確かに脳はからだの重要な司令塔だ。しかし、このわたしたちのからだと心を動かす元は、もっと深いところにあるのではないか。十年前もそう思った。
へそと海の出会い
偶然、海に行ったら痒みがなくなっていた。茅ヶ崎の海岸だった。これには目が覚める思いだった。頭の先からつま先まですっきりした。深いところとは臍の奥の腹わたであり、またそれが深い海に繋がっていたわけで臍と海の出会いであり和解だったのか。腸が第二の脳と呼ばれていることも頷けた。兎も角、海から帰った後、痒みとともにすべてが湮滅していた。痒みがなくなったのが海に行ったからかは科学的にはわからないが、何だかおかしくなって笑ってしまった。
生命の記憶とわれわれのリズム
十年前のことをよく回想する。
- 菜の花のおひたし - emmaus.hatenablog.jp
- 海辺 - emmaus.hatenablog.jp
振り返ると、現代のわれわれ一人ひとりには4億年の進化の生命の記憶が刻まれていて、光の明暗、潮の満ち引き、四季の移ろうリズムなど、生命のリズムとして示した三木成夫1の言葉でもって自分のかつて過ごした時間やフィールドを擦ることに気づく。この十年はその追認だったのだと。 臍は痒くはないが、また海に行きたくなっているのである。決してオーバーで荒唐無稽な話しではないので記録しておくことにする。
- 作者:三木 成夫
- 出版社/メーカー: うぶすな書院
- 発売日: 1992/09
- メディア: 単行本