Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

在ることの意味・乃至は自分について

この葉があるということ。でそこにボクが居る。「なんとなくあることがわかっている」という眠りから「あることの意味」が目覚める。つまり存在の意味。
ボクが先ず居てその後に葉を見るよりも、何よりも云えるのは・・・。葉を見ることは、ボクと葉との「状景の内」で居るということ。自分の居るこちら側から、葉があるところの向こう側に<行く>という構図だけども、それは取りも直さず・・・むしろ葉の向こうからボクのこちらの方に<来る>ことである。だから、ボクが葉を定義するのではなく、葉とボクの状景が定義づけられているとも云える。
・・・あなたがボクに成れないと同じくボクもあなたには成れない。これは意識の問題ではない。独り一人が自分を自分が背負っている。支えてやることは出来ても最終的にはあなたにボクが代わることは出来ない。だから生きる。だからボクとあなたが目覚めるというよりも、一人ひとりの意味事態が目覚める。一緒の意味事態が!目覚める。リフレイン・・・「なんとなくあることがわかっている」という眠りから「あることの意味」が目覚める。その中でこそ「本来の自分」という意味が価値をもたげてくる。