Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

自立とは何か

わたしがあなたについて語れることで、よりよいことは何であるのか。それはある豊かさによって、沈黙することだ・・・とある人は云った。そうして・・・わたしのことを、わたしは何故今もあなたに向かってこのように告白しようとするのか。わたしにとってあなたとは何か。

ターミナルケアに思いをよせて・・・学びほぐす

学びほぐすという言葉は三上さんからのブログで知った。(http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20061227)

わたしを見ている私。わたしとして見られている私。二重な「わたし・私」そのもの、あるいはそれを超えたものだと云える。つまりは、この豊かさによる沈黙とは、「魂」だということではないか。
人はおのれがよいことをしていると思っている時こそ実は最悪なことをやっているのではないか。今一番わたしにとって大切なものとは何かと問うてみる。それを先ず棄ててみる。その後にわたしの前に立ち現れるものを直視してみる。この言葉がいわば順序立てや段取り。だからこの私を立たせる為のレシピ=セオリー、それが魂だとも云えるのではないか。
あらゆるものは、これがこれ、それがそれと常に有るものでは無く、あらゆるものは、これがこれから離脱しそれがそれから離れて、これがそれと互いに関わり合っているという見取り。今起きていることにはっきりと気づくこと。

わたしがわたしとして、あなたがあなたとしてあるのではなく、わたしがあなたといる。その豊かさによって、沈黙するならば魂とは自由という名で呼び表すことだろう。

わたしたちの自由における自立とは・・・ 孤立するのでなく、わたしがあなたが共に居て、多くのみんなの中で自己が自己を離れて他者が先ず承認され肯定され、わたしたちの魂=自由を回復してゆくことだ。謙遜とは、魂と時間のある種の関係性である。