あるがままの音が響く・グスタフ・レオンハルト演奏会
昨年はレオンハルトの体調が悪く演奏会は中止だった。だから待ちに待っていた。来年で80歳。ライプツィヒ・バッハ音楽祭2007(5) - バッハを歩く・バッハと歩く ボクが彼を知ったのは、ハルモニア・ムンディ(http://www.bmgjapan.com/dhm/)のレーベルでの、バッハの「アンナ・マグダレーナの為の音楽手帳」であった。歌はエリ・アメリンクだった。今から考えると歌唱法がまだまだ何というかベルカント風だった。だがどこか今でいうところの「古楽」という新たなものを伝えていたのがとってもあの頃は新鮮だった。それを与えたのがレオンハルトだった。
歴史は塗り替えられるというが、ボクらにはこの以前にかの様式、つまりロマン主義的な過大な心情を尊んでいた時期があったのだ。今になって何をもってあれは解釈の間違いでしたなどと、どうしていとも簡単に説を転じることができるのだろうか。それはまるで昨今の政治における戦争責任問題のように、歴史をねじ曲げて問題を隠蔽することと同じで、これを断じて許すことは出来ない。自己中心的なご都合主義に音楽表現を見出すことは出来ない。先ずは自らの過ちを認めて、その過ちを正したレオンハルトの業績に敬意を払うべきだろう。
それはともかく、今回の演奏を聴いて、あの時ぶち当たった新たな音楽の鉱脈がグスタフ・レオンハルトやニコラウス・アーノンクールが活躍し始める1950年であったことを改めて考えた。一方またまったく違うやり方で違う音楽の鉱脈を掘り当てたグレン・グールドもそのころがスタートであった。グレン・グールド1932年。グスタフ・レオンハルト1928年の生まれである。この拓かれた領野にこそJ.サヴァル率いる”エスペリオンXX”の出現を見ることになる。
<前半 イタリアンタイプ・チェンバロ>
- バード:ウィロビィ卿の歓迎
- ブル:ドクター・ブルの「おやすみ」
- ダウランド:ラクリメ(鍵盤ヴァージョン)
- シャイデマン:イギリス風仮面舞踏会
- フレスコバルディ: トッカータ 第8番 (1615)
- フレスコバルディ:スパニョレッタにもとづくカプリッチョ
- フレスコバルディ:リチェルカーレ 第9番 (1615)
- フレスコバルディ:トッカータ 第7番 (1627)
- フローベルガー:トッカータ第9番
- フローベルガー:リチェルカーレ第5番
- 作曲者不詳(オランダ ca 1650):ダフネの主題による変奏曲
<後半 フレンチタイプ・チェンバロ>