Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

前のめりに志向するブログ力

世に云うGWとは縁なく仕事に専念する毎日。まったく三ヶ月前と同じ日常だが、それにしてもはてなのある局所ではすごいことになっている。

己の気持ちを前向きに少しずつでも開きながら同調させていくことでしか、その動向の意味を知ることすらできない。そんな動きが今日本で起こっている。
http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20080502/1209698655

実名や匿名のどちらがいいのかというリング、その場外で「無名」の者たちがその現実にその現場である何かを起こす。何もラディカルな思想(想い)でもなく。その無名という事態(現実)をあるがままに受けとめない(取り込んでいかない)と、実名にしろ匿名にしろ確かさは色褪せる。事態<現実>とはそんなことではないか。
かつて浜田庄司は、作品としてではなく自らの焼き物にいかような名辞もなく-それに自らの名を刻むことなく-世<現実>に「美」を提示した。実名という自己責任。匿名というトリック。無名という主体を消し去る逆照射する社会(われわれ)への自己鏡像。

三上さんは云う。

逆らわず、合わさらず、揺れつづける」には「体力」が要る。

体力が要るのは、単なる健康増進というメディカルな健やかさではなく、生きる自己を他者の中で確かめることで、自己の体と心の対話の健やかさな和解を知るからだろう。その事態を名辞すれば、創造ということではないか。

だからこそ、中山さんが云われるのだ。

僕の脳の中では喜びの回路の中でなにやらつながっている気配なのです。
http://d.hatena.ne.jp/taknakayama/20080501/p1

横浜小会議(08/05/14)があるという。仕事があっていけない。ブログ力のアルジたちと会えないのがとても残念。秋以降の横浜会議には、勿論走りでいく予定だ。