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“だれ一人自分のためにだけ生きている人はいない”

心を回(かえ)す

四旬節に入った。昼間所属の教会でのミサに与り灰をいただいた。雨にもかかわらず参会者でぎっしりの聖堂。山本神父様の司式だった。ずいぶんお元気になられました。自らの「怠り」を憚ることなくみんなの前でお話しになられた。「つい話てしまいました」と仰った。いいですな無駄なく淡々とした自然な感じで。なかなかこんなふうにはいかないものな。
本日の福音朗読

 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
 だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。
 祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。
 断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」
マタイによる福音(6:1-6,16-18)

祈りの中心の場所で、神の御前において自らのことを素直に申し述べなければならない。どうかわたくしたちの四旬節が実りあるものとなりますように。