Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

うますぎる・栗まろと祖母のきんとん

栗がたけなわを過ぎてもう一ヶ月。しかし、栗は栗で、甘露煮にした栗は今も美味しく味わうことができます。その京都の和菓子鶴屋吉信の「栗まろ」があります。絶品の出来栄えの栗で、毎年この頃に買い求めています。

そして一方、昔わたしの生家には大きな栗の木がありました。栗の木の脆さを知らずにその木を登って、ボコんと枝ごと落ちた経験は今も体のどこかに痛みとしてあります。体というよりも心が覚えている痛みでしょう。あの栗の実を湯がいた香りをいまも覚えています。じゃがいものような、醤油をたらした時のようなつーんとくる香り、渋皮の匂いだったのでしょう。

京都の和菓子の「栗まろ」はとても美味しいのですが、同じようにうちの祖母が作ってくれた、「きんとん」も格別でした。あの祖母が作ってくれた「きんとん」がとても懐かしく、もう一度食べたいと思うのは単なる戻ることができない再現できない郷愁というものかも知れません。また来年も「栗まろ」をきっとお店に買いにいくでしょう。あの祖母のきんとんを思い出しながら。