2005-01-01から1年間の記事一覧
草苅の林の跡に雨礫 跋渉し忍草涯に雨走る 花蔀梅雨空にこそ広げたりやっと梅雨らしくなったね。いいね。しんみり落ち着くね。
崔華国(チェファグク)の名を知ったのは崔氏がH氏賞を受賞した頃だったろうか・・・。 この詩集「驢馬の鼻唄」に〈荒川〉という詩があって、望郷の唄のようだが。格別この韓国語のラの音の処が何度詠んでも好い。本来、詩の音の響き自体は読み手の感覚に負…
せせらぎの音が聞こえます。お元気ですか? 新しい橋を架けてみました。wikiサイトを作りました。まだ暗中模索ひよこのwikiです。インターラクティブなものになればいいなと思ってます。お待ちしています。 http://riverward.com/walwiki2/wiki.cgi?FrontPage
措定 XはAを選択している 選択肢としてA以外にもBがあるとする。AとBは対立概念とする。 Xは本来Bに批判的である。 仮定 XがAを選択しても常にBに制約されることはありえるか?この関係は成り立つのか? また、 XがBを選択しても常にAに制約されることは…
http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20050623/p2のブログを読んだ。 なかなかいい。騙された国民に関して、swan_slabさんに清々しい正鵠を得る。 更に、http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/itami_mansaku.htmlは戦後直後における国民の意識の本音…
http://d.hatena.ne.jp/emmaus2/「我と汝」ブーバー関連を新たなはてなに設ける。
根源語の構造 二つの根源語*1がある。 根源語とは単独語ではなく、対応語*2である。 〈われ-なんじ〉という対応語 〈われ-それ〉という対応語 には彼と彼女の何れの代入をしても根元語には変化はない。 従って人間の〈われ〉も二つとなる。 人間の態度は二つ…
我と汝・対話 (岩波文庫 青 655-1)作者: マルティン・ブーバー,植田重雄出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1979/01/16メディア: 文庫購入: 8人 クリック: 49回この商品を含むブログ (44件) を見るインターネット神学 「あなた・わたしの属性に関する雑考」の…
Bill EvansとJim Hallのピアノとアコースティック・ギター・デュオ。どうやら関東地方も梅雨入りしたらしい。 しばらく聴いてなかった。ブルーで清冽な感じ。 うん。グーです。 何だかこんな句を思い出した。 「若鮎の二手になりて上りけり 子規」丁度今が鮎…
岩波文庫の編集部から不定期で「読書のすすめ」が無料で出ている。その第10集目に角田光代さんが「本のリズムと、暮らしのテンポ」というエッセーを書いている。本が持っているリズムは生活のテンポとの相性で決まってくるという。満員電車待合いの喫茶店…
措定 XはAを選択している 選択肢としてA以外にもBがあるとする。AとBは対立概念とする。 XはBよりもAを望んでいる。 仮定 XがAを選択しても常にBに制約されることはありえるか?この関係は成り立つのか? また依然としてBの必要性やその価値基準に制限さ…
玉川上水 梅雨を前に今日はいい天気。玉川上水緑道の散歩。少し足をのばして野火止用水の分岐点の小川のとこまで来た。ここで上流での水がまた下水処理されるワケ。拝島から取水大堰から約20キロ。まぁ実際は今の玉川上水は人工の処理水なんだけどもね。ガ…
方法序説 (岩波文庫)作者: デカルト,Ren´e Descartes,谷川多佳子出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1997/07/16メディア: 文庫購入: 31人 クリック: 344回この商品を含むブログ (203件) を見るここのところデカルトの「方法序説」をいつも持ち歩いては時間が…
わたしたちは霊によって新たにされる わたしたち ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、眼に立つように来るものではない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。神の国は実に、あ…
ヒンデミットがバッハ(ヨハン・セバッシャン)のことを「完璧から来る憂鬱」と言ったのだが、そのことをまた森有正も共感するようにどこかのエッセーに書き記していた。そうしていろいろ記述を探していたら出てきた。備忘のために森の訳を書き記しておく。 …
聖霊来てください。あなたの光の輝きで、わたしたちを照らしてください。貧しい人の父、心の光、証しの力を注ぐ方。やさしい心の友、さわやかな憩い、揺るぐことのないよりどころ。苦しむときの励まし、あつさのやすらい、憂いのときの慰め。恵みあふれる光…
だけど、むろん本来ありうる人の「善さ」といったところで、それが自らから出るものではない・・・ということは、人の中であるいは自然の中でよく額に汗し体を動かして「働く」ということと、それに伴う時間の中でそのほんとうの確かさをボクらに示してくれ…
空を仰ぐ。抜けるような空の青。美しさは指し示す一つの指標と考えるなら、善さといっても云い。
〜森有正「流れのほとりにて」から〜 人間が美しい人格とともに、避けることのできない欠点や暗さを終わりまでもちつづけることは、それ自体偉大なことではないだろうか。これも亦その人間そのものの姿なのだから。私の存在が示す、僕にとって、もっとも大切…
不幸 飢えて死に瀕する、その路傍に横たわる不幸な人間。神は慈悲(Misericorde)を抱くが、パンを送りとどけることはできない。その場に居合わせるわたしはさいわいにも神でない。わたしは一片のパンを与えることができる。これが神にたいするわたしの唯一…
行う イエスはいう。「私の教えは私のものではなく、私を遣わされたお方の教えである」と。「そのみ旨を行おうと望む者は、私の教えが神ものか、あるいは私自身が話しているのかをしるだろう」と。ヨハネ 7:16-17 その机をボクは鉛筆で行おう(なぞる)とす…
ボクが呼ぶのか。あなた「あの方」が呼ぶのか。それは分からない。 眼を閉じて鉛筆の先で机をなぞってみてごらん ボクと鉛筆 ボクの躰につたわる鉛筆 ボクらのために果たす鉛筆 そうさボク自身の有り様でないのだ そうして ボクらのためにでなくそのボクらを…
月は今は出ているだろうか。その時そう思うだけでなくあなたは何よりもその時外に出て確かめてみるだろうか。ある朝わたしは空を仰いで西に沈む頃までを眺めていた。真実はただ実際に生きて経験すること。そう出来るだけ。そこにいるのか。いないのか。だが…
エックハルトは言う。 この力(精神的形相のあるいは形相的「像」の容れものや宮)は魂と父との等しさを創り出すと。それは神性の流出を通じて創り出されると。そのことにおいて父はすべてのものをもろもろの像を子と聖霊にその源から注がれると。 確かにそ…
アウグスティヌスは言う。 「人が神について語ることのできる最もすばらしいことは、内なる豊かな知恵に従って、沈黙することができるということである」と。
人格的存在 >> 世界性 時間性 歴史性 しかしながら、人間は超越と自由を有する人格的存在として、同時にまた「世界的」、「時間的」、「歴史的」な存在である。そのような主張は、キリスト教の福音が人間に帰する諸前提を描写するために基本的なことである。…
わたしは歩哨の部署につき 砦の上に立って見張り 神がわたしに何を語り わたしの訴えに何と答えられるのかを見よう。 主はわたしに答えて言われた。「幻を書き記せ。 走りながらでも読めるように 板の上にはっきりと記せ。 定められた時のために もうひとつ…
小平小景エックハルト説教集 (岩波文庫)作者: エックハルト,田島照久出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1990/06/18メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 31回この商品を含むブログ (21件) を見るマイスター・エックハルトの「離脱」はボクらに〈神など知ること…
アウグスティヌスは次のように語る。 神は精神とも「心」とも呼ばれるあの最初の魂の領域において、魂の有(う)と共に、ひとつの力をつくった。師たちはそれを精神的形相のあるいは形相的「像」(イデア)のいれものや宮と名づけていると。 それでエックハ…
2005-01-19 - Emmaus’。みじめな肉体から抜けだし、肉は肉の領域に閉じこめて苦しませておき、聖歌と言葉のたとえようもない歓びをみいだした。キリストの受難が決定的にわたしのなかに入りこんだ。 「わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられる…