Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

思う

プロメテ

《プロメテ》 シモーヌ・ヴェイユ孤独の獰猛なけだものが、 腹の中で絶え間なくその身を責めさいなむもののために、むしばまれ、 疲労にふるえながら走り回っている、 死によってしか逃れられない飢えから逃れようとして。 そのけだものは暗い森を横切って食…

ほんとうとまちがい

私には、キリスト教をほんとうだと信じることによってまちがうよりも、まちがった上で、キリスト教がほんとうであることを発見するほうが、ずっと恐ろしいだろう。パスカル「パンセ」241

二重の無限性

マキシマムにおける無限性とミニマムにおける無限性事物の周囲をつつむよりは、その中心へ達するほうがはるかに可能だと、われわれはおのずと考えている。世界の目に見える広がり(大きいもの)は、目に見えてわれわれを超越する。しかし、小さいものは、そ…

実存遂行と内省

この入門(「キリスト教とは何か」)は、事柄の性格から見て、一つの実験である。・・・これはキリスト者であり、キリスト者たらんとする者にとって、決して恣意的な神学的な諸問題ではない。ここでは、自分自身の存在の全体がかかっているのである。これは…

時間

時間とは人間にとってもっとも深刻かつ悲劇的な気がかりである。唯一の悲劇的な気がかりといってもよい。想像しうる悲劇のすべては、時間の経過という唯一無二の悲劇へと逢着する。時間はまたあらゆる隷属性の源泉である。パスカルが深く感じとっていたよう…

考える葦

人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するに及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すも…

パンセ

『パンセ』は、1670年、フランスのパリで刊行された。その完全な題名は、『死後、書類の中から見いだされた、宗教及びその他の若干の主題に関するパスカル氏のパンセ』。 つまりは、キリスト教関連にまつわるパスカル(1623-1662)の随想遺稿集である。当時…

贈り与えられたもの

時間とは究極的に言って、人間が自由に、自己の在り方を決定的に決めるための場である」(カール・ラーナー) ボクに与えられた唯一で、また誰にでも与えられている唯一のもの。与えられたものが場というならばその場をつねに意識しよう。

祈りのうちに

今日 洗礼を与りました 心はかたちを求めるのだろうか 心はつねに変わる 変わらぬ魂 そしていつしか魂も消えゆく 魂が聖なる霊によって大いなる神との出会いを臨む 高さを保ち続けて 頂点をつくり上げ はじめて かたちのある 祈りの幕屋の空間が作られた 神…