Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

名づけられたもの

「ー」「呼ばれています」「イエズス・キリストへ」合唱「水のいのち」などの歌を作詞をした詩人高野喜久雄氏の言葉です。

名づけられたものはつねに結ばれつつそれぞれの名を超えようとします。「結ぶ」ことは「共に・生まれる」こと、聖なるものに向かって、繰り返し「共に・生まれ直す」ことなのかも知れません。

生あってこそ、その果ての死。始めと終り。どちらも意味があるのに、誕生日というけど終生日とは云わずに「命日」と云うのは、とてもふしぎですね。一つの物語が終るにしても、また別の物語が始まる。かつてと今とこの先に。命という文字が光ります。

最近、わたくしではなくわたしたちという、共に生まれ直す繰り返しの裾野の広い大きさを日常に感じています。確かに親しい人は、先に行ったのですが。届かない遠さですが近さでもあります。 

「共に・生まれ直す」ことこそが、言葉を抱きしめている私達の第一の理由だからです。

“呼ばれています いつも 聞こえていますか いつも はるかな遠い声だから  良い耳を、良い耳を 持たなければ”

今し方雨上がりの夜空に明滅する星を観ていたのですが、気休めでしょうか、気持ちがほんの少し楽になったのでした。

2021/04/17