森のなかで走ったこと思ったこと
今日の話しは
わたしが、やってるのはトレイルランの延長ではなかった。わたしには自分が山野を駆け巡る修験者だという自覚はなかった。
という驚くべきお話。😁
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自分をじっくり見つめるには、静かな時間と場所が必要だった。建て前と本音ではなく、本音の自分をかんじたいから。
森を走る。あるいはその森を歩く。森と言っても丘か山という感じ。
森はとてつもなく大きな力を潜めています。
森のさまざまな顔。
春には可憐なスミレ、
夏の森は炎天下でも暗く涼しく、
秋は葉が色づき森は明るくなる。
冬には落葉で森はさらに光に満ち夏遮られていた遠くの風景が眺められ、
谷戸からのかぼそい泉にたどり着く。
森は四つの季節の別々のものではなく一つの「時」をもっています。季節をめぐる森の営み。
先ず私の経験があって、次に私は思いを巡らす。思いを経験に織り込むことを自然が拒みます。 ありのままの自分ということの難しさ。
確かに、わたしには孤独がありかつ苦しみや悩みがあります。 負としてのストレス。正としてのストレス。 内的、外的。経済的精神的肉体的なもの。全部のわたし自身。 私の経験。そして前に向かうために希望を抱きます。 常に変化する毎日その時々です。
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これじゃまるで、山野を巡る行者だ。トレイルランの延長とか思っていたのですが、わたしが修験者を目指していたという自覚はなかった。のでした。😀