emmaus.hatenablog.jp

“だれ一人自分のためにだけ生きている人はいない”

信仰

クリスマス・ミサ

久しぶりにミサに与った。二日早いクリスマス・ミサに。 温かいものが体のなかに降りてきた。大切なものが自分の中に生まれてくるこの感覚。 ある人はこれを「救い」というし、ある人は「あわれみ」ともいう。 またある人はキリスト教ではないが仏教では「涅…

神を探し求めたことはない

これだけはいえます。わたしはこれまで一度たりとも、いかなる瞬間においても、神を探し求めたことはないと。おそらくはそのせいで、もちろんあまりに主観的といえばそれまですが、神を探し求めるという表現は好きではなく、あまつさえまちがった表現である…

メリー・クリスマス2008

今日の大晦日は仕事、明日の正月元旦も仕事。で明後日は夜勤の入りだ。病院医療介護24時間勤務シフトだからというより、自分で決めて始めた第二の仕事だから願ったり叶ったりで、待ってましただ。それで今日は主の降誕第七日。今だ降誕節*1半ば。遅れました…

言葉が意味になる日にチョコもらった

ある時あの人の話しを少しだけでも聞くことがその方の全体を聴く(知る)ことになっていく。2000年前のその方の言葉が<意味>となって<意味>のつながりとなって、その全体がわたしに近づく(実現する)ことになる。だからそこにある意味とは、発話者…

聖週間

昨夜の聖金曜日。教会の祭壇、裸形のままでなにもない。静けさの充浸の後ろに高く吊し上げられた十字架のキリスト。ほかに誇れるものはなにもない。「いばらのかんむり」の聖歌をうたう。なかなか良くハモっていた。今夜はいよいよ復活徹夜祭だ。

クリスマスおめでとうございます

今夜、川向こうの近くの教会のクリスマス・イブミサに家人と与った。ミサの入祭の三十分前から祈りや歌が行われていたみたいで聖堂は大勢の参列者で立錐の余地もなかった。読書が好きな者にとっては、その始まりの「序」は何も代え難く清々しい静かな楽しみ…

待ち望む日々2

だからこそ、神はわたしたちの人の愛を忍耐づよく待ち望む(待機する)のだ。シモーヌ・ヴェイユは時間について次のように書き記した。 時間とは、わたしたちの愛を乞い求める神の待機である。待機するときの謙虚さはわたしたちを神に似たものにする。謙遜とは…

待ち望む日々

待降節第3主日が過ぎた。エッサイの株からひとつの芽が萌えいでその根からひとつの若枝が育ちその上に主(spirit)がとどまる。〜イザヤ11〜この季節、わたしたち(教会)には四つのろうそくがあり、週毎に一つの灯りがわたしたちの<間>に点る。間とは、こ…

待ち望む

待降節に入った。いろいろ書こうと思うがその時間がない。ともかく昨日待降節第一の主日ミサに与ることが出来たことだけは書いておこう。少しづつ書き足していくしかない。「間」ということについて気がついたこともあった。それも次回に。でもこれでは記事…

2007夏の終わり・久しぶりだよ主日ミサ

言葉が意味的なものとなるのは・・・まさにボクの中心的経験的でそうなるんだね。新しい仕事(病院介護勤務上)が勤務シフトになっているので、ほとんど日曜日に休日がとれなくなった。まいったなと思ったけど、しゃーないです。決めたのだからね。で一ヶ月…

聞くということ

「この聖書の言葉は、今日あなたがたが耳にしたとき、実現した。ルカ」。 聞くことについてkarposさんがhttp://d.hatena.ne.jp/karpos/20070902/p1言及している。

見知らぬ方が立っている

あなたたちの中に見知らぬ人が一人立っている。 ヨハネによる福音書1:26 バルバロ訳 その方は私に見えぬことを見えるかたちにして示して下さる。

復活徹夜祭

カトリック教会では、キリストの復活前日土曜日の日没以後から、復活徹夜祭が行われます。祝福された大きな復活のローソクに火を灯してはじまります。そんなわけで復活徹夜祭行ってきました。光の祭儀 闇に火を祝福し新しい火で復活の蝋燭が灯された。キャン…

為し遂げられる言葉

言葉には、相手に対する感慨や対象の客観的状況の説明や言述だけでなく、もっと言葉の内的な力が外に出て言葉自体によって時空間の現実の存在を完了し完成させるものがある。イエスの言葉の場合が特にそうだ。つまり発話行為の瞬間に現実の世界を成し遂げら…

この男に出会って

今週から聖週間に入っている。この「聖週間」とは、キリスト教の歴史的な祝い事を土台にした典礼、つまりキリストの受難と死と復活に至る復活祭前までの記念の式が行われる1週間をさすわけで。もっと聖なる時をわたしどもは過ごしているんです・・・。って云…

スプランクニゾマイ

ところでRFKの特質について、ははるさんは彼の「成長する能力、体験によって変わる力」に加えて、こう言っている。 そして、共感するだけでなく、彼は、たとえ自分がつらくても、変わるべきときには変わることを受け入れられる人でした。これが、RFKを他の政…

RFKと憐れみ

RFK - はるるの勝手に独り言〜「勝手にRFK週間」の締めくくり - はるるの勝手に独り言はるるさん(id:nihongo)のブログのRFKシリーズは月間に突入することなく週間として納まったそうです。お疲れさま。「先週はボビーについてしゃべりすぎて、沈黙が必要な今…

クリスマスにありがとう

今夜(24日)遅い時間ですがクリスマスのイブミサに与りました。今さっき帰宅。仕事がらみで気持ちはほんとうは落ち着かなくても「やっぱりそれきみにとって大切なことなんだ」って、少し余裕ができた自分を自分が見ている自分。特別な料理でもお祝いでも…

ツールド秋川+坐禅

坐禅会(接心)から昨日帰って来た。現地はバスの便も少ないとこだから、それなら当初から予定を「ツールド秋川+坐禅」にしようとボクは思って、わがクロスバイクで北秋川の山間を風になったという按排。家からは現地・神冥窟まで40km弱。檜原あたりからは…

信仰の直截さについて

断食についての問答(マタイ 9:14) 人はある理という秩序に確かに促されている。だが信仰の直截さという後ろ盾があってこそ、その行いは更に現実に適うものとなる。この直截は「形あるものを超える」ものに支えられている。あのパンをいただく「日毎」とは…

魂が見出す

魂が私を見出すことについてのメモ。魂が私を見出すことは出来ないと思える自己理解。そしてあるいは、私のおぼろげな上に対する(神)理解。上よりの救いは明らかだというのに・・・。未だ明けぬ朝に、意識が穏やかに目覚める。先ず触れる。微かにある祈り…

十字架への洞察・鈴木大拙

鈴木大拙の「キリスト教と仏教」で印象的だった箇所を引用。 復活ということがないと、十字架は全く無意味である。しかし、復活したものは昇天してしまうけれども、大地の土壌は依然として十字架に固執し続ける。ところが、さとりの場合はそれとは異なり、さ…

横たえるキリスト

忘れない内に書いておこう。何時だったか・・・エックハルトの関連で 鈴木大拙師の本を読んでいたら、キリストの十字架像と仏陀の涅槃像との象徴的な違いを指摘している所に目が留まった。話は約めるがこうである。大拙師曰く・・・ 垂直性は行動・好戦性・…

いかに聞く

顕わるるためならで 隠るるものなく 明らかにせらるるためならで 秘めらるるものなし ルカ8:17 いかに聞くべきや。隠るるものを。秘めらるるものを。 測る秤で私をも量られる。いかに聞くべきや。まして顕わるるものを。明らかにせらるるものを。

赦されることの少ない者

知識は人を高ぶらせ思い上がらせるのだろうか?だが愛は人を造り上げると云う(1コリ8)。 だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。ルカ7 言葉が比喩を構…

日常の内的な気づき・ボクの祈りのアクセント

昨年の今頃は活動系のS修道会の練成院に伺ったが、昨日は観想系のC修道会を訪問する機会に恵まれた。九時課の祈りにボクら皆も与れたのは貴重だったし、またその後、院長との一時間以上の談話で質問が出来たのも有意義だった。 内的な和解と平和 ところで・…

今何をするのか?

何はさておき人の命は確かに尊く素晴らしいものだ。だがしかし、あるところである場所で、人と人との戦いが永く続けられているのだ、今もまだ。聖地の惨状: 司教の日記。今日の主日のミサでの御言葉を思い巡らした。 その日、べテルの祭司アマツヤはアモスに…

「祈り」は何であるか?

「祈り」は「祈り」自体が何であるかという問いそのものでもあるのかも知れない。しかし、それによってこの問いの中味には全然触れられるところはないのである。いかなる定義を与えようとも、問いを問いとして示すに過ぎない。答えは「祈り」そのものによっ…

ウビ・カリタス

「『い・つ・く・し・み』って何?」と子どもから訊かれたら、あなたはどう答える? かつてザビエルが日本で宣教をはじめた時、「愛」が日本人に受け入れられないことに苦心し、「愛」ということを「大切なこと、大事なこと」として言い伝えたそうだ。そんな…

聴くことと述べること

ある事柄が話し手の歴史や経験であったとしても、聴くことは結局聴き手の自らを語ることでもあるのだ。「何が聴けたか?それが何なのか?」。様々な発話情報のタグやメタの述定の関わりを読み解きながら、生き生きとした発話者の空間に聴取者も招かれてそこ…