Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

ふたたびクマのプーさん展へ

渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムでやっている「クマのプーさん展」にまた行ってきた。 東京の展覧会閉幕まであと4日。来場者多さにびっくり。はじめは二月、今回で二度目。うれしさが初めの時の倍1。 見どころは原画 童話「クマのプーさん」、プーとその仲…

くろとメリーとラリーのこと

さまざまなものは変わってゆくが、いくつになっても思い出すのは、ウチにいた犬のくろとメリーとラリーのこと。 くろは、幼い頃のぼくのともだち、茣蓙を敷いた日向でよくいっしょに寝た雑魚寝の友。毛足の短い真っ黒の雑種。ぼくが生まれる前からすでにウチ…

白い退屈

小人閑居して不善をなす 差し当たりやることがない。でも時間がある。以前ならジョギング。しかし、今の体ではそれはできない。所在なく時間を埋める。またこれも有だ、今日の三じのお茶はお団子にしようかと思ってみた。 退屈のおそれ ぼくは子供の頃はのん…

遠くから近くから

世界の集落調査 建築家である原広司には部分が全体を超える1という強い確信があるようだ。そのライフワークである世界の集落調査をとおして受けた空間デザインに関する教えには教条的なものがないので、受け手のぼくらは建築という専門分野をこえて既成の枠…

エザイアス・ロイスナーを聴きながら

冬のあいだは見えていた多摩や丹沢の山並みが春霞で見えなくなってきた。しかし、見え始めたものもある。近くにある林床に咲く菫だ。その蕾が開き始めた。 朝の空気ははつらつとして、まだ寒さの残るこの頃である。 探しものをしていて家の奥の部屋の引き戸…

柚子大根

太く真っ白な大根がスーパーに並んでいた。その瑞々しさは糖をたっぷり含んだ甘さのある冬の大根そのもの。柚子がまだ冷凍庫にたくさんあるのを思い出し、これだと、柚子大根をつくることにした。 大根 人参 柚子 昆布 唐辛子 砂糖 塩 酢 材料の量はそれなり…

寒い日はあったかタソミで行こう

今日のような寒い日に打って付けのホットドリンク。ヒートテックなんて要らない。 タソミとは、我が家のみ通じる略語、温かいスペシャルターメリック豆乳のこと。 小さじ1杯のターメリック・パウダー 小さじ1杯の摩り下ろし生姜 豆乳180cc をカップに入れ電…

曠古の呉須

好きに理屈はない。好きの力を信じるという言葉があるが、そこまでそんなに自信を強めねばならないのかと思う。好きというのはそんなに片意地を張ることではないのだ。ともかくざっくばらん?に、染め付けの呉須の色が気に入って十年ちかく惹かれ続けた時期…

冬のマーチングバンド

幾層もの薄紅の雲の合間から夕陽が河岸を照らしていた。昼間に雪の降った翌日のことだった。 対岸の草はらには子供たちが一つに列をなし西に向かって立ちすくんでいた。 鴨は川面で動かず、辺りの空気はキーンと張りつめていた。 子どもらは凛々しく面をあげ…

へそと海と自分のその後

わたしたちを動かすもの 思いを言葉にしたからといっても、どうなるわけでもない。膝が痒くなって へそと海と自分を書いたのが10年前。 意図と効果 ⇒ こうしようという思いを果たせれば良いのだが 貫く意味 ⇒ そこに降り注ぎ覆うわけ(理由)の幾許かが 主題…

白菜ロース鍋

鍋の季節だ。陶芸ではない。鍋を囲むというと湯気立つ鍋料理のこと。我が国では「鍋」だけで通じるからおそれいる。言葉を省略するのが日本語といえど、これには外国の友達は目を白黒する。フライパンの季節というのはない。それほどわれわれの食生活に鍋(…

クリスマス・ミサ

久しぶりにミサに与った。二日早いクリスマス・ミサに。 温かいものが体のなかに降りてきた。大切なものが自分の中に生まれてくるこの感覚。 ある人はこれを「救い」というし、ある人は「あわれみ」ともいう。 またある人はキリスト教ではないが仏教では「涅…

父の遺言 -曾祖母-

父の実母は父を生んで産後の肥立(産後の回復)が悪く、しばらくして亡くなった。それで父の祖母(曽祖母)が母親がわりとして父をきびしく育てたという。ぼくの家は代々からの割烹旅館で、その曾祖母は女将としてまわりから筑後の三羽ガラスとまで呼ばれた…

鱈の西京漬け(焼き)

わが日本の食文化には「漬けもの」という古くからの習慣があるが、この西京漬けは食材保存ではなく食材の旨味を活かす料理を前提にした味噌漬けで、塩分は5%以下というのが特徴である。 先日食した鱈などの西京漬けが殊の外おいしかったので、味噌床をつくっ…

成長と健康

陸上競技長距離コーチ、ジャック・ダニエルズ (Jack Daniels)は、 fitnessについて 成長には健康が必要である。 I learned to embrace fitness as a necessary part of growing up.と言っている。 ケガして休むと、フィジカルだけでなく喪失感や失望などの精…

味噌床

知り合いから魚の西京漬けをいただいた。鱈に鮭に鯛etc.。おいしかった。だったらつくってみようと味噌床を作った。なんてことはない、白味噌に味醂を加えるだけ。漬けの材料は鱈。 この結果は三日後。報告します。乞うご期待! #misodoko

星よりご飯

#mukagorice スーパーなどではなかなか手にすることのない零余子(むかご)を近くの農家から分けてもらったので早速「零余子ご飯」と相成った。むかごは薯のつるにつく小さな肉芽で、ホクホクとした素朴な味がいい。 この零余子は季語では秋で蕪村のものに …

五目豆の昆布煮

#soybean #boiledbeans 料理屋には入店して来客と帳場が通じたことのあいさつとして「お通し*1」という小鉢料理が出される。店によってお通しを代金にするところもあるので、注文もしてないし料金をとられるからと最近では返す客もいるそうだ。まあ、わかる…

戦わないというタタカイ

健康で病気もしないなら、からだのしくみなどは考えずに過ごしていたと思う。平和で穏やかな日々を支えていたものが、実はからだの免疫細胞の絶え間ない戦いがあったからだという思いにはなかなか至らない。 がしかし、ぼくらの意志や志向に関わらず、からだ…

100年目の風景

▪️ハルさんのこと この世の支配者は「時」であって、(きみが)王であれ奴隷であれ、時がきみの命を吹き消すとき、あらゆる苦しみと喜びは夢のように、あるいは水のように消えてゆく。だから、王であれ奴隷であれ、良い思い出を遺す人こそ幸福なのだ。-フェ…

あることの讃歌-火は石の中に眠っている-

汝<Thou>に出会う わたしたちが道を歩いていて、向こうからこちらに歩いて来たひとりの人に出会うとき、わたしたちが知っているのはわたしたちの歩いて来た道のりだけであって、相手の歩いて来た道のりではない。ただわたしたちがその相手と出会うときにだけ、彼の</thou>…

ケアセンタリングを学ぶ 自分流の寄り添い方

料理に魔法や手品の極意はないのと同じく介護にも魔法のようなスキルはない。介護について、自分が知っていること-これが世界だと思っている事柄-を詳細に調べると、自分の知る世界とこの現実世界が乖離していると分かる時がある。もう一度この世界と自分の…

マーカス・ロバーツというピアニスト

今を上書きしていくSNS。その今という部分の幾つかの集まりが全体にみえるのは概ね早とちりか錯覚ではないか。性急に答えを迫るわりに明日はもう忘れ去られる今。時を経ることを無用とする世界は不幸だとさえ言える。一方、行きつ戻りつの思考のあり方。やは…

海辺

久しぶりに生田緑地をあるいてみた。桜の花はもう散っていた。小高い丘を登ってもなぜか海辺を感じる。海に行って一週間が立つが、海と山どういうつながりなのか分からない。 浜辺に打ち寄せる波と大空。時間と空間。 そうだ、これからの僕には、「ゆっくり…

道具

もの作りや料理をすると脳に良い*1そうだ。昔、僕はものづくりを生業としていたし今も料理はよく作る。だとすると、その篠原説はただしいのか? もの作りとくれば道具。道具を使うには「素材を知る」のが要。さらに、道具というものは使い続けて使いこなし自…

菜の花のおひたし

先週、海を見たくて木下さん(http://www.kinoshitake.org/)の案内で逗子〜鎌倉に行った。サブ目的は、インドカレーspice tree、小満ちとんかつ、もやい工藝(http://moyaikogei.jp/)。逗子の海岸を眺めてCINEMA AMIGO(http://cinema-amigo.com/access.html)に…

ぼくのICF

通院治療の時でも日々の生活がある。朝一日が始まり夜一日を終える、その毎日の営みの中で自ずと、病症や障害という視点から病症や障害があっても日常の生活という視点を移するようになった。「ある」から「やる」にシフト。そして、「やる」という「ある」…

フェンネル・カレー

高校の時、初めてつくったカリー。ばーちゃん師匠直伝の奥義、仁丹カリー。体力がない時に胃や腸が弱って時、ウイキョウという薬剤を主成分とする仁丹をすりつぶして蜂カレー粉に加えるものだった。むろん唐辛子や胡椒は使わない。その薬剤のカリーから料理…

ある春の朝

親許を出たのが二十歳の時。もうこれからは家も生まれも育ちもない、自分が自分の力でやる。その気持ちでワクワクした。恐いものはなかった。太陽が眩しかった。 だが、あの眩しさは太陽の光ではなく、親の眩しさだったのだと50年経って分かった。 今あらた…

幸福書房の店じまい

いい本を見つけた。原研哉著「白百」。内容は色の白に関する心象等々。この本は私鉄沿線の小さな本屋さん、代々木上原の幸福書房で見つけた。ちょくちょく行く店だった。本もさることながら、ここの店の魅力は仕入れが一般の取次システムだけに頼らず独自仕…