Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

何でもやってからの方がいい

以前出来たことが、ある日出来なくなることがある。また、反対に出来なかったことが出来るようになることもある。衰えの自覚はあるがほんとうにそうなの?以前と同じではないが、どうにか工夫して出来たらそれでよしとするべきだ。体は常に変化しているのだ…

父と母のこと

近ごろなぜか父と母のことを夢によくみる。父や母がなくなってどのくらいなるだろう。丁度、本を閉じた時から本とのほんとうの関わりが始まるように、父や母のことは未だ終わりではないということだろう。見る夢には根拠は然程なく内容もさしたる事でもない…

パティシエ・デビュー

昨日、人生ではじめて製菓コーナーに行った。どれどれ、おーあるはあるはいろいろと。こういうところが世にあるのは知ってはいたが行って驚くやら感心するやらで新鮮だった。妻は若いうちにすでに菓子づくりの洗礼?をうけている先輩だが、ぼくはぼくなりで…

うれしき瀬・からだのこと

まえおき SNSやFBに「今」気づきたことを手短に書く、それも有効だと思う。しかし、そんな日常にあって絶え間なくどこからとなく僕に発せられた来た通知(notification)。「言葉には、今という『ファースト・ヒストリー』だけではなく『スロー・ストーリー…

64歳になった時のWhen I'm sixty-four.

昔からビートルズは好きではなかった。あえて言えばむしろローリング・ストーンズの方が好きだった。 でもこのWhen I'm sixty-fourは悪くはなかった。 若いころ、まさかじぶんが64歳になるとは考えもしなかった。 今日はぼくの64の誕生日。あらためて聴いて…

ドングリと入道雲とハイドン

ハイドンを語る時わたしたちが語ること 高二の夏休みの終わりだっただろう。当時クラシック音楽のレコード鑑賞会というものがさかんな時代だった。その会の発起人のKさん宅に招かれた。日頃からわたしによく声をかけてくださっていたが、二回りも年上ではい…

手と足

歩いて走る。普段動かしている手足、この身体性について俯瞰するとどうしても吉本隆明の「心とは何か」の〈身体論をめぐって〉に行き着きます。身体については医学生理学の専門の書もあるでしょうが、この書に惹きつけるのは吉本の目がわれわれの「生きる」…

歩くことについての断章

5年前の歩きと走りを経て、最近walrunの歩くということが内と外からよく分かってきてまとまったのでメモっておきます。これからまた5年するとどうなることか。さあ前に進みます。 「歩き」っていい - Emmaus’ 走るときの時間の流れは具体的だ(SJC編) - 勇…

ジュリアードSQによせて

相変わらず走っている。というか、5月から歩きと走りをとりまぜている。これをwalrunと呼ぶようにしている。5月の計は267km。歩きを入れたがエクササイズの負荷は濃い(良い)。歩きということが随分長い間いけないことのよう思っていた。歩きは休みではない…

へそと海と自分

こうしようとして果たせば良いのだ。それには目指すもの、降り注ぐような全体を覆うわけ(理由)、真ん中にあるもの、テーマという譲れない事柄etc。そして実行。出来ることもあれば、惨敗の時もあった。でも、そのようにあたまのテッペンだけで考えている意…

思い出ということ

読むという行為は、受容と傾聴と共感という<聞く>という行為に尽きる。ケアの場合において特にそうだ。ところで、昔話や<思い出>という言葉が若い頃わたしは好きでなかった。わたしがセンチメンタルだったから。反対にわたしが強がっていたからだ。こと…

森が明るくなってきみのメールが届いた

山里を走った。森が明るくなった。木の葉が昨夜の風で落ちたからだ。ところで近ごろ、メールが新鮮で面白い。この広大な世界において。この木の葉の落ちる此処から遠くまた遠い海のその果てに確実にきみがいる。そのきみというあなたに。この山里からこのぼ…

生活に根ざす、そして笑いが込み上げてくる…

sjc

四年も前の金城さんの記事を再読した。[2008-08-08「役に立つ」か、「夢を売る」か、そのどちらかだ」 結局何が言いたいのかっていうと、「原さんは最後に、「人生ってのは、「役に立つ」か、「夢を売る」か、そのどちらかだ」と言い切るわけさ。そんで夢を…

木は語らない・木は語っている

http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20120322#c の続きだが、こちらから三上さんへのコメントにしてみた。 - 三上さん、こんばんは。一方で<木は語らない>というのは、私には<木は語っている>ということを他方で想起することです。実にこの二つの命題は矛…

早川さんを偲んで(ブログは今も健在なり)

撮影:id:omoonさん 内田樹: 人間の価値は何を成し遂げたかではなく、何を贈ったかに ... 「人間の価値は何を成し遂げたかではなく、何を贈ったかによって考量されるということが改めて身にしみるジョブス君の通夜の夜です。」 https://twitter.com/levinass…

月のあかり

つんく イイぞ、原曲を超えてる!人はささげようとする時、自分を開く。「振り向くなこの俺を…」

Neture boy

意味や理由なんかなく、そのまんましっかり青が青だったらどんなにいいだろう。

こんどいつか自転車の話しを

今日は休日だった。ずっとWes Montgomeryを聴いていた。 なぜか落ち着いたんだ。理由なんてない。今更だけど早川さん(id:hayakar)に、謝りたい。 あの時、「自転車」の話をしてたんだ。 でも僕はそれを遮って「走り」の話しをし出した。 もっとずーと自転…

真っ青な空に「ラスベガス」を想う

梢のそよぎも すすきの穂の揺れもない まるで 時間が止まったかのような森 真っ青な秋空 昨日悲しい知らせが届いた きみの「ラスベガス」への旅立ち もう帰ってこないのかい その地のことを思って 走った 鳥が高くきーと啼きながら視界を横切る つらいことば…

音楽の語らい-この場に佇む-

われわれが時間や空間の中に「在る」と言うのは、時間や空間という森に「住まう」ことだ。もっというとそこに居ることを常に発見し続けること。わけてもこれは今(現代)のわたしたちの確かな情景を表しているのではないか。セザンヌに「自然は描かれたよう…

何でもない一日が特別な日になった

横浜フィルハーモニーの演奏を聴いて 仕事を終えて帰りの電車の中さっきまでipodしていた。曲は、Ryuichi Sakamoto / parolibre / the sheltering sky (live_2009_10_7) 心地よい仕事の疲労感。ピアノの音。音楽は時への探求だ。shuffleしてDamien Rice。一…

神を探し求めたことはない

これだけはいえます。わたしはこれまで一度たりとも、いかなる瞬間においても、神を探し求めたことはないと。おそらくはそのせいで、もちろんあまりに主観的といえばそれまですが、神を探し求めるという表現は好きではなく、あまつさえまちがった表現である…

駒ケ根高原マラソン・ロードレース

sjc

ロードレース 昨日駒ケ根高原マラソンのロードレースを楽しんできた。実は、この大会のエントリーは昔の走りの友達からの誘いだった。ボクのエントリーは坂の上下の高低差のある6kmコース。当日現地駒ヶ根高原は快晴気温20゜C湿度38%走りとしてはこの上な…

似て非なるものの走りをやってきます

走り始めて27年。時々思っていたのは、横目にするテレビで映し出されるマラソンというスポーツ番組だった。とても不思議な違和感。彼らは、キロ3分というスピードで走り抜けるには、その目標の完結する42.195kmだけでなく、レースの準備としてあらゆる鍛練の…

写真はほんとうのところはよく分からないがたのしみたい

三上さん(id:elmikamino)への手紙(コメント)三上さんお元気でしょうか。朝ジョグしていたら犬と散歩人のいい風景がありました。会ったことのない風太郎くんをすぐ思いました。それが左の写真。それに今朝ジョグにipodでシャッフルしていたら、倉さん(id…

たのしいものとたのしいこと

近づいて撮るのと同じく、広角に遠くから俯瞰しようとしても対象はどんどん曖昧になる。それはそうと・・・、むしろ写真というものは多義的でとてもイカガワシク偶然でそれ(存在=知覚の束)を超えていると思えるのがとても面白いのです。かんたんにいえば写…

ふーさんの鮎

もう落ち鮎の頃だろうと思いながら川岸をジョグをしていたら向こうからふーさんがとことこ歩いて来る。同じ長屋の住人だ。ふーさんは、からだが小さく、肌は日焼けでチョコレート色だからすぐわかる。ニコニコ笑っているからどうと訊くと、箱一杯よとやっぱ…

夜の白むのが遅くなりはじめた八月の頃に

私鉄が乗り入れしている駅がある。早めの仕事の朝、始発から二番目の電車でその駅に着く頃には、2つ向こうのホームの先端にきまって一人の乗務員が立っている。その情景をもう三年も見続けてきたことになる。交替勤務の電車の到着のきまりだろう、どの時も…

書き損じた一枚の絵葉書

あるはずの夏服が見あたらない。去年も探せなかった。 止むなく部屋の天袋をあさっていると、古い大きな旅行鞄の中から書き損じた一枚の絵葉書が出てきた。フィレンツェのアルノ川の絵葉書で、生前の父と母に出そうとしたものだ。“元気です、暑いです。明日…

梅雨明け四日目

日の出のその瞬間よりも寧ろその前後こそ、あるいは違うアングルによって見る方がその日の出の実体が如実に分かるのと同じように。<傷み>は、そのものの時や場所というよりも、もっと違う形で知覚できる<痛み>として現われてきてこそ俄に見えないその患…