Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

2006-01-01から1年間の記事一覧

Ibrahim Ferrer

Buena Vista Social Club Presents Ibrahim Ferrerアーティスト: Ibrahim Ferrer出版社/メーカー: Nonesuch発売日: 1999/06/08メディア: CD クリック: 3回この商品を含むブログ (10件) を見る歌を聴きたい。70歳を過ぎてのCDアルバム・デビュー。キューバ音…

死者の書

初稿・死者の書作者:折口 信夫国書刊行会Amazonこの暑い時にこそ一冊の本をじっくり読み返すのもいいだろう。「死者の書」。「盆(盂蘭盆)とは、いつもの『私』から『ワタクシ』を取り去ることである」とある僧が話をしてくれた。なるほどだと悼むとはそういう…

南瓜

立秋も過ぎて夏の暑さも下火かも知れないがどうだろうか?うちの近くは農家がいっぱいだから、今の旬は、茄子にトマトに胡瓜、枝豆、トウモロコシ。それにやっぱり、カボチャなどの夏の野菜が手に入る。それでこの暑い時には、冷たいポタージュだと思って、…

暑中お見舞い申し上げます

茄子畑鋏の音の美しさ 志ん生の如くに鳴いてる蝉が居る

自信とは

自信とは・・・自分を支へるものであるが、何よりありのままの自分を受け入れる健やかさと平明さに基づくと云ふ方がよい。それによつてわれわれが愚かさや鈍さや思考停止に導かれるのではなく、人が実に単純さにおいてなほ鋭く繊細で豊かで逞しいものに到る…

一番分らないこと・自分

確かに疎ましい自分といふものも正直あるのだらう。「もう少しどうにかならんかな」と吹けば飛ぶやうな小さな小さな商ひを長年遣つて来た。いつも問題山積。上の会社からは叩かれ、下からは突き上げられる日々。「何ともならん」。だから素直だつた臍まで曲…

このへんのこと6

朝早く雨の中、玉川上水から遠出のジョグ。あたりの深い霧が森をすつぽりと。もう郭公の声は聴かなくなつた。やはり六月だけだ。そろそろクヌギやコナラの枝が落ちるハイイロチョッキリの季節だ。

モンポウ

ちょっとした時間があって、何か音楽でも聴きたい・・・。ショパンのようなは甘さではなく、フォーレの高みの求心性もちょっと避けたい。モーツァルトということでもなく。「さて、あなたなら何?」誰も思い浮かぶ曲が有るに違いない。まるではじめて出会う…

朝の雨熱りを冷ます蝶が居る ジョグ数寄が荒梅雨の面を走り行く 琺瑯の白さに流れる金魚たち 汁作り雨に急くなり茗荷採る 青時雨暫く覆うこの土地に 梅雨荒れの二番電車が今立ちぬ 喜雨に撓る枝樹未だ眠るなり 短夜の眠れぬ膝に光射す 雨はしんみり落ち着く…

今何をするのか?

何はさておき人の命は確かに尊く素晴らしいものだ。だがしかし、あるところである場所で、人と人との戦いが永く続けられているのだ、今もまだ。聖地の惨状: 司教の日記。今日の主日のミサでの御言葉を思い巡らした。 その日、べテルの祭司アマツヤはアモスに…

命はすばらしい

あれから一ヶ月なるのです。新しいいのち - Emmaus’ 命はすばらしいと思いませんか。ネットで見ているだけでも、ただその子が、私たちを通してそのすばらしさにあるということだった。長女誕生 - KIYONOBUMIE 武満徹は親友に子どもが生まれたときに、誰かの…

〈ち・か・さ〉

新鮮だということは、こことそこ(これとそれ)、あるいは私とあなたとが出合い関わることである。つまりそこに何らかのある空間が前提として必要とされている。というのも新鮮ということは、その空間の〈間〉における間柄として生じた結果であるのだから。…

「祈り」は何であるか?

「祈り」は「祈り」自体が何であるかという問いそのものでもあるのかも知れない。しかし、それによってこの問いの中味には全然触れられるところはないのである。いかなる定義を与えようとも、問いを問いとして示すに過ぎない。答えは「祈り」そのものによっ…

聴くことと述べること

ある事柄が話し手の歴史や経験であったとしても、聴くことは結局聴き手の自らを語ることでもあるのだ。「何が聴けたか?それが何なのか?」。様々な発話情報のタグやメタの述定の関わりを読み解きながら、生き生きとした発話者の空間に聴取者も招かれてそこ…

神を信じる者と信じない者

「はちことぼぼるの日記」のブログに 無神論者との対話というエントリーがあります。とてもよかったです。以前↓これもよかった。参考までに。この本のタイトルはアラゴンの詩〈薔薇と木犀草〉からとられていて、因みにこの詩はキリスト者とコミュニストの友…

子規

ここのところ子規の随筆を読んでいる。読む楽しみそのものを与えてくれる。 筆まかせ抄 (岩波文庫)・松蘿玉液 (岩波文庫)・墨汁一滴 (岩波文庫)・病牀六尺 (ワイド版 岩波文庫)・仰臥漫録 (岩波文庫) むろん病牀六尺の身の上であるものの、子規の器量の大き…

自己

海を渡る蝶がいるという。そして、梅雨が露によってさらにぬれてここに於いて(この場に)晒されている。蝶が翔びたつ。一斉に水は雫を表す(水粒になる)。一滴あっての水ではない。水あっての一雫ではない。多でもなく個でもない水のふしぎ。水が水にぬれ…

このへんのこと5

舞ひ翔ぶやしとどの露より蝶が立つ 水盤や赤絵の色がましぬれる いや白しは短夜の露の匂かな 六月の雫におのれを映しゆく 人無くも有を知りたる露台かな 明け朝に既に滴り釣荵 すがしくも単衣の老女と会釈する 地下鉄に身すがら老婆が単衣物

与えられたもの

〜新しさと記憶について〜 分化 雨が強かったのか。風が烈しかったのか。草花のぐったりと萎えた静かな朝だった。その回りには未だに妙に生気が漂っている。吐息が聞こえるようだった。植物には息づかいというものがあるに違いない。雨風の勢いというよりも…

新しいいのち

長女誕生 - KIYONOBUMIEリール遊民夫婦(ふ)さん(き)さんに新しいいのちの誕生。 いいですね。ボクも何だかその喜びを分けてもらったようでうれしい。 生まれた日からこんなに表情が豊かなものでしょうか。笑っているように見えたり、難しそうな顔をした…

祈りについて・シーニュを越える

水が「み・ず」という響きと同じくらい水が好かった。 海が「う・み」という響きと同じくらい海そのものが好かった。年を経たある日。 I・N・O・R・I にであった。 ずっとまえからボクの中にあったのかも知れない。 だがそれは、 I・N・O・R・Iが 事(こと・w…

このへんのこと4

という訳で昨夜遅くプールによった。何だか銭湯に寄った感じで落ち着く夜のプール。 なんせ我が名の一字に「川」という文字がある。うちの先祖は九州の大きな川の傍だったというのはほんとうだ。だから志向が殊のほか水系らしい(どんな志向か)。名は態を表…

おさかなになる日

夜遅きプールの底の水やさし 六月夜飛び魚らが我を解く 水負うたスイマーの息弾む夜 微笑する夜のプールの魚たち仕事帰りの途中に偶に思い出したようにどこかのプールでさかなになる。ふと思い出したようでなければならないさりげなく。ゆっくり長く。さらに…

結び直す

もう一度丹念に「在ることの驚きの中で」高野喜久雄を読んでみる。 「見るためには、眼を閉じねばなりません」と言った人もいました。眼を開き眼を閉じて、結局のところ私達は何を見るのでしょうか。「在るもの」、「在ること」の不思議、その驚きの中で、私…

ミスはつきもの

はるるさんのところのエントリーに肯いてしまった。ミスはつきもの - はるるの勝手に独り言サッカーの代表監督ジーコの言葉。 「日本では完全であることがすべての基準。でもサッカーにミスはつきものなのです。」 そうだよね。実際「ダメからはじめて良くな…

夏1

若竹がその身を越ゆる蒼さかな 紫陽花の蕾の上なる鳥の空 衣替えすれば涼しき朝の径

清岡卓行

先だって高野喜久雄 - Emmaus’が亡くなったことを知ったその日、6/3に清岡卓行が亡くなられたのだ。現代詩初期を担った方々が逝かれるのが目立ってきた。 どこから世界を覗こうと 見るとはかすかに愛することであり 病患とは美しい肉体のより肉体的な劇であ…

高野喜久雄

id:mj_thereseさんのページで知りました。http://d.hatena.ne.jp/mj_therese/20060601典礼聖歌で馴染みの曲高田三郎氏作曲の「父はいる」「呼ばれています」「イエズス・キリストへ」の作詞をされた詩人の高野喜久雄氏が先月始めにお亡くなりになられました…