emmaus.hatenablog.jp

“だれ一人自分のためにだけ生きている人はいない”

ジュリアードSQによせて

相変わらず走っている。というか、5月から歩きと走りをとりまぜている。これをwalrunと呼ぶようにしている。5月の計は267km。歩きを入れたがエクササイズの負荷は濃い(良い)。歩きということが随分長い間いけないことのよう思っていた。歩きは休みではない…

へそと海と自分

こうしようとして果たせば良いのだ。それには目指すもの、降り注ぐような全体を覆うわけ(理由)、真ん中にあるもの、テーマという譲れない事柄etc。そして実行。出来ることもあれば、惨敗の時もあった。でも、そのようにあたまのテッペンだけで考えている意…

思い出ということ

読むという行為は、受容と傾聴と共感という<聞く>という行為に尽きる。ケアの場合において特にそうだ。 ところで、昔話や<思い出>という言葉が若い頃わたしは好きでなかった。わたしがセンチメンタルだったから。つまり反対にわたしが強がっていたからだ…

森が明るくなってきみのメールが届いた

山里を走った。森が明るくなった。木の葉が昨夜の風で落ちたからだ。ところで近ごろ、メールが新鮮で面白い。この広大な世界において。この木の葉の落ちる此処から遠くまた遠い海のその果てに確実にきみがいる。そのきみというあなたに。この山里からこのぼ…

生活に根ざす、そして笑いが込み上げてくる…

sjc

四年も前の金城さんの記事を再読した。[2008-08-08「役に立つ」か、「夢を売る」か、そのどちらかだ」 結局何が言いたいのかっていうと、「原さんは最後に、「人生ってのは、「役に立つ」か、「夢を売る」か、そのどちらかだ」と言い切るわけさ。そんで夢を…

木は語らない・木は語っている

http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20120322#c の続きだが、こちらから三上さんへのコメントにしてみた。 - 三上さん、こんばんは。一方で<木は語らない>というのは、私には<木は語っている>ということを他方で想起することです。実にこの二つの命題は矛…

早川さんを偲んで(ブログは今も健在なり)

撮影:id:omoonさん 内田樹: 人間の価値は何を成し遂げたかではなく、何を贈ったかに ... 「人間の価値は何を成し遂げたかではなく、何を贈ったかによって考量されるということが改めて身にしみるジョブス君の通夜の夜です。」 https://twitter.com/levinass…

月のあかり

つんく イイぞ、原曲を超えてる!人はささげようとする時、自分を開く。「振り向くなこの俺を…」

Neture boy

意味や理由なんかなく、そのまんましっかり青が青だったらどんなにいいだろう。

こんどいつか自転車の話しを

今日は休日だった。ずっとWes Montgomeryを聴いていた。 なぜか落ち着いたんだ。理由なんてない。今更だけど早川さん(id:hayakar)に、謝りたい。 あの時、「自転車」の話をしてたんだ。 でも僕はそれを遮って「走り」の話しをし出した。 もっとずーと自転…

真っ青な空に「ラスベガス」を想う

梢のそよぎも すすきの穂の揺れもない まるで 時間が止まったかのような森 真っ青な秋空 昨日悲しい知らせが届いた きみの「ラスベガス」への旅立ち もう帰ってこないのかい その地のことを思って 走った 鳥が高くきーと啼きながら視界を横切る つらいことば…

音楽の語らい-この場に佇む-

われわれが時間や空間の中に「在る」と言うのは、時間や空間という森に「住まう」ことだ。もっというとそこに居ることを常に発見し続けること。わけてもこれは今(現代)のわたしたちの確かな情景を表しているのではないか。セザンヌに「自然は描かれたよう…

何でもない一日が特別な日になった

横浜フィルハーモニーの演奏を聴いて 仕事を終えて帰りの電車の中さっきまでipodしていた。曲は、Ryuichi Sakamoto / parolibre / the sheltering sky (live_2009_10_7) 心地よい仕事の疲労感。ピアノの音。音楽は時への探求だ。shuffleしてDamien Rice。一…

神を探し求めたことはない

これだけはいえます。わたしはこれまで一度たりとも、いかなる瞬間においても、神を探し求めたことはないと。おそらくはそのせいで、もちろんあまりに主観的といえばそれまですが、神を探し求めるという表現は好きではなく、あまつさえまちがった表現である…

駒ケ根高原マラソン・ロードレース

sjc

人や自然からほんものをもらった 楽しんだ 昨日駒ケ根高原マラソンのロードレースを楽しんできた。実は、この大会のエントリーは昔の走りの友達からの誘いだった。ボクのエントリーは坂の上下の高低差のある6kmコース。当日現地駒ヶ根高原は快晴気温20゜C…

似て非なるものの走りをやってきます

走り始めて27年。時々思っていたのは、横目にするテレビで映し出されるマラソンというスポーツ番組だった。とても不思議な違和感。彼らは、キロ3分というスピードで走り抜けるには、その目標の完結する42.195kmだけでなく、レースの準備としてあらゆる鍛練の…

写真はほんとうのところはよく分からないがたのしみたい

三上さん(id:elmikamino)への手紙(コメント)三上さんお元気でしょうか。朝ジョグしていたら犬と散歩人のいい風景がありました。会ったことのない風太郎くんをすぐ思いました。それが左の写真。それに今朝ジョグにipodでシャッフルしていたら、倉さん(id…

たのしいものとたのしいこと

近づいて撮るのと同じく、広角に遠くから俯瞰しようとしても対象はどんどん曖昧になる。それはそうと・・・、むしろ写真というものは多義的でとてもイカガワシク偶然でそれ(存在=知覚の束)を超えていると思えるのがとても面白いのです。かんたんにいえば写…

ふーさんの鮎

もう落ち鮎の頃だろうと思いながら川岸をジョグをしていたら向こうからふーさんがとことこ歩いて来る。同じ長屋の住人だ。ふーさんは、からだが小さく、肌は日焼けでチョコレート色だからすぐわかる。ニコニコ笑っているからどうと訊くと、箱一杯よとやっぱ…

夜の白むのが遅くなりはじめた八月の頃に

私鉄が乗り入れしている駅がある。早めの仕事の朝、始発から二番目の電車でその駅に着く頃には、2つ向こうのホームの先端にきまって一人の乗務員が立っている。その情景をもう三年も見続けてきたことになる。交替勤務の電車の到着のきまりだろう、どの時も…

書き損じた一枚の絵はがき

あるはずの夏服が見あたらない。去年も探せなかった。止むなく部屋の天袋をあさっていると古い鞄の中から旅先で書き損じた一枚の絵葉書が出てきた。フィレンツェのアルノ川の写真で生前の父と母に出そうとしたものだ。“暑いです。明日はウフィツ美術館です”…

梅雨明け四日目

日の出のその瞬間よりも寧ろその前後こそ、あるいは違うアングルによって見る方がその日の出の実体が如実に分かるのと同じように。<傷み>は、そのものの時や場所というよりも、もっと違う形で知覚できる<痛み>として現われてきてこそ俄に見えないその患…

梅雨明け

梅雨明けだと後で知る。4:30 ひさびさに夜明け前にジョグスタート。夏の朝空にしては秋のように澄んで青く深い。5:45 走りを停めてデジカメをとり出して見上げた空。からだの回復はほんもんか!?と帰宅し糠味噌を捏ねながらふと不安にオノノク。こねに捏ね…

二つのエピグラフ

軽やかな鈴の音が聞こえる。あの向こうの電話機からなのだろう。夜も更けているがパチパチと焚き火が燃えさかり語り合う声が小さく響いている。しばしの静寂をぬってこちらに人影が現れた。受話器をとって「はい、はい」とだけ受け答えて机に何かをぴたりと…

与えられたもの

開け放った店の扉から遠くの街のざわめきを風が路地裏の澱んだ匂いともに運んでくる。日の落ちるのが早くなった。天井の暗がりが空にもつながるのか小さな店に似合いの裸電球がゆるやかに照らしている。長めの厚いカウンターは糠で磨きあげられているのだろ…

撮らずにいられない

せめてゲームを終わらせて - 記憶の彼方へへのRE人には夫々に辿る道があるように夫々の写真への考え見方がある。それを一つにしないでクロスしてみる。 人生いいこと二つァない だからわたしの好きな写真とは敢えて一言でいうと、被写体の価値自体にすり寄ら…

もの言わぬ花のような木のような方たちと

理想と現実 - 記憶の彼方へに応えてくしくも、わたくしもネットにはまったく無縁の人びとのことを思っていた。その方たちとは、わたくしの仕事の終末医療でベットで横になったままの、「時」を語るよりも「時」に居合わすだけの、もの言わぬ花のような木のような…

フルマラソン不参加記念

携帯から投稿。掛川新茶マラソンの受付票(ナンバーカード引換券)が大会事務局から届いた。不参加だがこれも2009年春の出来事のひとつ。明らかにして残しておこう。

掛川フルマラソンを辞退!42.195を思い描くことが出来ない

SJC

今年一月から三ヶ月の間走り込みは月300キロ以上でとても調子よかった。だが先月末に原因か分からぬが右腿を傷めた。日常わたくしの走りの<心地よさ>の目安は17キロだが、どういう訳か途中8キロ過ぎから腿の後部に鉄板が入った違和感(痛み)が何度となく…

寒戻る

冴え返る耳を覆うも風の音もし句(詩)というものが、「風雅」ということだけでつまり美的感覚だけが句(詩)の表現を究めるものなら敢えて文字に表す必要もない(句をここで語ることはない)。芭蕉の「雲の峰幾つ崩れて月の山」は風雅ではなくわれわれ世界…